約四半世紀続いた「安定の軸」が崩れた

1999年に誕生した自公連立政権が、ついに幕を下ろした。
「自民と公明が手を結ぶ」という構図は、戦後日本の政治における“安定の象徴”であり、同時に「政教分離のあいまいさ」を抱えた共存体制でもあった。
その均衡が、ついに崩れた。

今回の離脱は単なる政局の転換ではない。
政治と宗教、信仰と功利、理念と現実——日本という国が戦後75年かけて積み上げてきた“信頼の構造”が、静かに形を失った出来事である。

自民と公明をつないだ「信頼の構造」

自民党と公明党を結んだのは、政策よりも「互いの不足を補う現実的信頼」だった。
自民には「組織票」が、公明には「政権への通路」が必要だった。
票と権力を交換するこの仕組みは、政治的取引というより、戦後日本が生んだ“実利的信仰”の象徴だったともいえる。

両者を支えたのは、信者の一票を国家運営に転化するという、極めて日本的な“融合”の思想だった。
欧米の政教分離は「信仰を政治から切り離す」思想に立脚しているが、日本では「信仰を社会に溶け込ませる」文化が根強い。
そのため、政教分離が「現実政治の中でどこまで許されるか」という問いは、常にあいまいなまま残ってきた。

「理念の違い」という最後の壁

今回の離脱には、政策上の不一致以上に「価値観の断絶」があったと見る向きが多い。
公明党を支える創価学会は、宗教的背景として「平和・共生・人間主義」を掲げてきた。
対する高市早苗総裁は、国家観・安全保障観においてより明確な保守的立場を取る。
その思想的距離が、いかに連立の実務を保っても埋めがたいものとなった。

とりわけ、創価学会側にとって「信仰が政治に従属して見える構図」は容認できなかった。
高市政権下で政教関係が緊張を帯びることへの懸念が、最終的な決断を後押ししたとみられる。
政策よりも理念、数よりも信念。
25年続いた現実主義の終焉は、同時に「信仰の独立宣言」でもあった。

「安定」という幻想の終わり

自公連立が長く続いた理由は、政治的な利害の一致だけではない。
多くの国民にとって、それは“変化を恐れないための安心装置”でもあった。
長期安定政権という名のもとに、政治と宗教、保守と中道が共存しているという幻想が、社会の均衡を保ってきた。

しかし、その安定は表層的なものであった。
信頼という基盤が薄れ、理念よりも打算が優先される政治では、やがて綻びが生じる。
今回の離脱は、安定の象徴が「形だけの安定」へと変質していたことを明らかにした。
日本社会が再び何を信じ、どんな価値で結ばれるのか——その問いが突きつけられている。

信仰から功利へ──日本社会の精神の変質

この出来事は、宗教政党の離脱劇にとどまらない。
むしろ、日本人の“信仰のあり方”そのものが変わりつつあることを示している。

かつて政治や宗教は、人々に「善悪の基準」や「生きる指針」を与えていた。
だが現代社会では、政治も宗教も「生活を便利にする手段」へと変化した。
信仰もまた、功利の文脈で語られるようになった。
信じることよりも、結果を出すこと。理想よりも、得を取ること。

自公連立が長く続いた背景には、こうした“功利的信仰”の国民性があった。
理念よりも安定を、対立よりも調和を重んじる日本的精神が、それを支えていた。
だがその安定が崩れた今、私たちはもう一度、「信じるとは何か」「信頼とは何か」を問い直す段階に立たされている。

政治ではなく、「信頼の再構築」を

自公連立の終焉をどう受け止めるかは、人それぞれだろう。
しかし明らかなのは、日本人がもはや“宗教と政治の中間”に安心して立つことができなくなったという事実である。

政治が信仰を取り込み、信仰が政治を動かす——その共存が終わった今、私たちが次に築くべきは「制度」ではなく「信頼」だ。
信仰に代わる価値体系、権力に依存しない倫理、そして“何を信じて生きるか”という根本的な問い。

それを避けては、どんな政権も、どんな連立も、再び同じ宿命をたどるだろう。
この離脱は、政局の終わりではなく、日本の精神史における新たな章の始まりなのかもしれない。