観光客が戻り、ホテルや飲食店がにぎわっているのに、なぜ観光地では人手不足が続くのでしょうか。最大の原因は、需要の回復に対して、低賃金、不規則な勤務、季節変動、人手に依存したサービス構造の改善が追いついていないことです。本記事では、観光産業が人を集められない理由と、単なる採用強化では解決できない構造的な問題を解説します。
観光地の人手不足は一時的な採用難ではない
観光地の人手不足は、働き手の総数が足りないだけではなく、従来の雇用条件とサービス提供の仕組みが維持できなくなった構造問題です。
観光地では、宿泊施設、飲食店、土産物店、交通事業者、観光案内所などが同じ地域の労働力を取り合います。人口の少ない地域ほど採用できる人の母数が限られるため、一つの施設だけが求人条件を改善しても、地域全体の不足は解消しません。
さらに、観光需要は曜日、季節、天候、イベントによって大きく変動します。事業者は繁忙期に合わせて人を確保したい一方、閑散期まで安定した雇用を約束しにくく、働く側にとっては将来を見通しにくい職場になりがちです。
観光地の人手不足を深刻化させている要因は、主に次のように整理できます。
- 宿泊・飲食サービス業の賃金水準が低い
- 早朝、夜間、土日・祝日の勤務が多い
- 繁忙期と閑散期の仕事量の差が大きい
- 地方では通勤手段や住居を確保しにくい
- 接客、清掃、調理など人手に依存する業務が多い
- 若年人口の減少と従業員の高齢化が同時に進んでいる
つまり、求人広告を増やせば解決する問題ではありません。働き方、価格設定、業務工程、地域の交通や住宅まで含めて見直さなければ、人材の奪い合いが続くだけです。
低賃金構造が人材を観光産業から遠ざけている
宿泊・飲食サービス業は、他産業より賃金水準が低く、仕事内容に見合う将来性を感じにくいことが人材確保を難しくしています。
厚生労働省の「令和6年賃金構造基本統計調査」によると、2024年6月の一般労働者の所定内給与額は、産業計で月33万200円でした。これに対し、「宿泊業、飲食サービス業」は月26万9,500円で、調査対象となった産業の中で最も低い水準でした。
短時間労働者についても、同調査では「宿泊業、飲食サービス業」の1時間当たり賃金が1,190円でした。産業計の水準だけでなく、教育・学習支援業や医療・福祉などと比べても低く、より高い賃金や安定した勤務時間を提示する業種へ人が移るのは自然な動きです。
なぜ観光サービスの価格は賃金に反映されにくいのか
観光産業では、宿泊料金や飲食価格が上昇しても、その増収がすべて人件費に回るわけではありません。食材費、光熱費、設備更新費、予約サイトへの手数料、建物の維持費なども増えており、とくに小規模事業者は利益を確保しにくいからです。
長年にわたり「安くて丁寧なサービス」が競争力とされてきたことも、低賃金構造を固定化しました。価格を上げれば客が離れるという不安から、人件費ではなく従業員の努力や長時間労働によってサービス水準を維持してきた施設も少なくありません。
しかし、低価格と手厚いサービスを同時に維持するモデルには限界があります。人材を確保するには、観光客にもサービスの適正価格を負担してもらい、その収益を賃金や休暇、教育に戻す循環が必要です。
不規則な勤務と過重な接客が定着を妨げる
観光産業では、賃金だけでなく、早朝・夜間勤務、休日の取りにくさ、感情労働の負担が離職につながっています。
宿泊施設では、朝食の準備、客室清掃、チェックイン、夕食、夜間対応など、一日の中で必要な人員が大きく変わります。朝と夜に仕事が集中し、昼間に長い休憩を挟む「中抜け勤務」が残る施設では、拘束時間が長くなり、家庭生活や余暇との両立が難しくなります。
飲食店や土産物店も、一般の会社員が休む土日・祝日ほど忙しくなります。家族や友人と休日を合わせにくい働き方は、若い世代が職業を選ぶ際に大きな不利となります。
観光サービスの現場で働く人は、次のような負担を同時に抱えやすい状況にあります。
- 混雑時でも笑顔や丁寧な対応を求められる
- 外国語や文化の違いに対応する必要がある
- 予約変更や苦情への即時対応を求められる
- 欠員が出ると残った従業員の負担が増える
- 休憩や有給休暇を予定どおり取りにくい
観光庁が2025年に公表した「宿泊業の人材確保・育成の状況に関する実態調査」では、転職経験のある宿泊施設従業員が職場に満足する要素として、人間関係、労働時間・休日などの労働条件、業務内容、配置・異動制度などが挙げられています。給料だけを引き上げても、勤務環境全体を改善しなければ定着にはつながりにくいことが分かります。
観光需要の回復が人手不足をむしろ悪化させる理由
観光客が急増すると、売上より先に現場の仕事量が増えるため、需要の回復が人手不足を表面化させます。
宿泊者が増えれば、予約管理、フロント対応、客室清掃、食事提供、荷物管理などの業務も増えます。商品を工場でまとめて生産する場合とは異なり、宿泊や飲食のサービスは、利用者が訪れる時間と場所で提供しなければなりません。
観光庁の2025年調査では、宿泊施設で人手を必要とする部門として、清掃、宿泊、料飲、調理、宴会などが示されています。とくに繁忙期に不足する施設が多い一方、時期に関係なく常に不足しているとの回答も複数の部門で一定割合存在しました。
客室を売りたくても売れない状況が生まれる
ホテルに空室があっても、清掃員が不足すれば販売できる客室数を減らさなければなりません。飲食店でも、座席や厨房設備が空いていても、調理や配膳を担う人がいなければ営業時間や予約数を制限する必要があります。
この状態では、観光客数が増えても地域の受け入れ能力は拡大しません。むしろ、限られた従業員に仕事が集中し、疲弊、離職、さらなる人手不足という悪循環が生まれます。
観光客にとっても、人手不足は次のような形で表れます。
- 営業時間や営業日の短縮
- 客室や予約枠の販売制限
- 待ち時間の増加
- 料理やサービス内容の縮小
- 清掃や接客品質の不安定化
人手不足は、従業員や経営者だけの問題ではありません。観光地の満足度や評判、再訪意向にも影響し、長期的には地域の観光ブランドを損なう問題です。
地方の人口減少と生活環境が採用を難しくする
地方の観光地では、仕事があっても住居、交通、教育などの生活基盤が整わず、地域外から人を呼び込みにくいという問題があります。
都市部のホテルであれば、複数の鉄道路線や周辺地域から通勤できます。しかし、山間部の温泉地、離島、スキー場、海辺のリゾートでは、自家用車がなければ通勤できない施設もあり、勤務先の選択肢が限られます。
寮を用意しても、建物が古い、個室がない、職場と生活空間が近すぎるといった問題があれば、長期定着にはつながりません。本人が地域を気に入っても、配偶者の仕事や子どもの教育環境が整わなければ、家族単位で移住することは難しくなります。
外国人材だけでは解決できない
外国人材は、宿泊、外食、ビルクリーニングなどの現場で重要な担い手になりつつあります。多言語対応や異文化理解という面でも、外国人従業員が観光施設にもたらす価値は大きいといえます。
一方で、外国人材を低賃金の穴埋め要員として扱えば、同じ問題が繰り返されます。住居、生活相談、日本語教育、業務研修、昇進経路を整えなければ、採用できても地域や職場への定着は期待できません。
観光地に必要なのは、単に地域外から労働力を連れてくる政策ではありません。日本人、外国人、若者、高齢者、子育て世代が、それぞれの事情に合わせて働き続けられる生活環境を地域全体でつくることです。
省人化だけで「おもてなし」は維持できるのか?
デジタル化や機械化は必要ですが、人を減らすことではなく、人にしかできない仕事へ従業員を集中させるために導入すべきです。
観光庁は宿泊施設の人手不足対策として、自動チェックイン機、清掃ロボット、配膳ロボット、AIコンシェルジュなどの導入事例を公表しています。予約情報の転記、定型的な案内、会計、館内配送などを自動化すれば、従業員の負担を減らせます。
省人化に適している業務には、次のようなものがあります。
- 予約情報や顧客情報の入力
- チェックイン時の本人確認
- 館内設備や周辺観光地の定型案内
- 精算、注文受付、在庫管理
- リネンや荷物などの館内運搬
一方、体調を崩した宿泊客への対応、地域文化の説明、旅行目的に応じた提案、苦情の調整などは、人の判断や共感が欠かせません。すべてを機械に置き換えれば、観光地の魅力である人との交流まで失われる可能性があります。
無料サービスを見直すことも必要である
日本の観光施設では、荷物の預かり、送迎、細かな客室対応、複雑な食事変更などが無料で提供されることがあります。しかし、それぞれのサービスには人の時間と費用がかかっています。
無料を前提にしたサービスを増やし続ければ、従業員の負担だけが膨らみます。標準サービスと有料オプションを分け、利用者が必要なサービスを選ぶ仕組みも、持続可能な観光には必要です。
大切なのは、サービスを一律に削ることではありません。観光客が本当に価値を感じる部分を残し、慣習だけで続いている作業や過剰な対応を整理することです。
人手不足を解決するには観光の経営モデルを変える必要がある
観光地の人手不足を解消するには、採用人数を増やすのではなく、少ない人数でも利益とサービス品質を維持できる経営へ転換する必要があります。
まず必要なのは、適正な価格設定です。人件費、教育費、設備更新費を賄えない料金で販売を続ければ、どれだけ観光客が増えても従業員の待遇は改善しません。
次に、施設ごとに人を囲い込む発想から、地域で人材や業務を共有する発想への転換が必要です。複数の宿泊施設が清掃、送迎、予約管理、従業員研修を共同化すれば、繁閑差をならし、単独施設では難しい安定雇用をつくれる可能性があります。
求められる改革は、次の四つに集約できます。
- 宿泊・飲食料金を適正化し、賃上げの原資を確保する
- 中抜け勤務や長時間拘束を減らし、勤務時間を予測可能にする
- 定型業務をデジタル化し、接客や企画に人を集中させる
- 住居、交通、教育を含む地域の受け入れ環境を整える
加えて、経営者が「人手不足だから仕方がない」と考えるのではなく、どの業務が利益を生み、どの業務が従業員を疲弊させているのかを把握する必要があります。業務を減らす判断は、サービスの低下ではなく、重要なサービスを守るための経営判断です。
まとめ
観光地の人手不足は、人口減少だけで起きているのではなく、低賃金、不規則な勤務、繁閑差、地方の生活環境、人手に依存したサービス構造が重なって深刻化しています。
観光客が増えれば自然に地域が豊かになるとは限りません。価格を抑えたままサービス量だけを増やせば、現場の従業員が疲弊し、施設が営業を縮小し、結果として観光客の満足度も低下します。
必要なのは、人を無理に集めることではなく、働き続けられる賃金と勤務環境を整え、機械に任せる仕事と人が担う仕事を分けることです。観光の持続可能性は、訪れる人の数ではなく、その地域で働く人が将来を描けるかどうかによって決まります。
主な参考資料
- 厚生労働省「令和6年賃金構造基本統計調査 結果の概況」(2024年6月分の賃金、2025年3月公表)
- 観光庁「宿泊業の人材確保・育成の状況に関する実態調査」(2025年調査・公表)
- 観光庁「宿泊施設における省人化事例集」(2025年8月公表)
- 日本銀行「全国企業短期経済観測調査(短観)2026年6月調査」(2026年7月公表)
