新米が店頭に並び始めたにもかかわらず、前年産の古米より安い――そんな異例の現象が2026年秋に起きている。背景にあるのは在庫の積み上がりと需要を上回る供給であり、米価を毎年大きく上下させるより、農家が再生産できる一定の高値で安定させる方が、日本の農業と食料安全保障には望ましいのではないか。本稿では、政策転換と作付け判断の時間差から考える。

なぜ新米のほうが古米より安くなっているのか?

2026年の「新米安・古米高」は、新米の価値が下がったのではなく、高値で仕入れられた2025年産米が流通在庫として残る一方、新たな供給が増えたことで起きている。

通常であれば、新米には鮮度という付加価値があり、前年産米より高く売られる。しかし2026年秋には、その常識とは逆の価格がスーパーや米穀店で現実に見られるようになった。

テレビ朝日の2026年9月10日の取材では、横浜市のスーパーで千葉県産「ふさこがね」の新米5キロが2430円、同程度の前年産米が3014円で販売され、新米の方が約600円安かった。新潟県や静岡県などでも同様の逆転現象が報告されている。

背景を整理すると、大きく次のようになる。

  • 2025年の米不足と価格高騰を受け、流通業者が高値で米を確保した
  • その後、販売数量が伸びず、前年産米の在庫が積み上がった
  • 2026年産米も高水準の供給が見込まれた
  • 新米は現在の需給を反映した安い価格で市場に入ってきた
  • 古米は高い仕入れ価格を抱えているため、簡単には値下げできない

つまり、「古い米だから高い」のではない。前年の米騒動によって形成された高値の在庫と、現在の供給過剰が同じ売り場に並んでいるため、価格が逆転しているのである。

米余りは田植えが始まる前から予測できたのではないか?

2026年の供給過剰は収穫後に突然判明したものではなく、春の田植えが本格化する前から、在庫と作付意向の数字によってかなり明確に見えていた。

農林水産省によると、2026年1月末の民間在庫量は321万玄米トンで、前年同月より92万トン多かった。前年より大幅に在庫が積み上がっていたことは、少なくとも2月末には公表されていた。

さらに農水省が3月11日に公表した1月末時点の作付意向では、2026年産の主食用米は136.1万ヘクタール、平均的な単収で計算すると732万トンに相当するとされた。一方、政府が想定していた需要量の上限は711万トンだった。

つまり、本格的な田植えの前に、

  • 前年より大幅に多い在庫が残っている
  • そのうえ新たに需要を上回る主食用米が生産される可能性がある
  • 政府自身も「需要に応じた生産」を求めていた

という三つの情報がすでにそろっていたことになる。

3月23日の農林水産省の食糧部会では、1月末の作付意向どおり生産された場合、2027年6月末の民間在庫量が最大271万トンになるとの試算まで示されていた。供給過剰は秋になって初めて分かった問題ではない。

石破政権の「増産」と高市政権の「需要に応じた生産」は何が違ったのか?

石破政権は米不足と価格高騰を受けて明確に「増産へ舵を切る」と表明したが、その後の高市政権では、主食用米について「需要に応じた生産」を原則とする姿勢へ修正された。

石破茂首相は2025年8月5日、米の安定供給等実現関係閣僚会議で「増産に舵を切る」と明言した。9月の記者会見でも「令和7年度から米の増産を進める」と述べ、従来の米政策からの転換を強調していた。

ところが高市政権発足後、鈴木農林水産相は2025年10月22日の就任会見で、米について「基本的には需要に応じた生産」が原理原則だと説明した。主食用米を無条件に増やすという考え方ではなく、輸出用米や米粉用米などを含めて需要のある分野を伸ばす方向へ整理されたのである。

ここで重要なのは、農業には時間差があることだ。前年夏に政府が「増産」と強いメッセージを発すれば、生産者、農協、集荷業者、資材業者などは翌年の営農をその前提で考え始める。

一方、政権が変わって政策メッセージが修正されても、水田農業は工場の生産ラインのように翌月から簡単に増減できない。この政策と生産現場のタイムラグこそ、米価を不安定にする一因ではないだろうか。

農家はなぜ供給過剰が見えていても主食用米を作ったのか?

結果だけを見れば供給過剰なのだから生産を減らせばよかったように思えるが、生産者側にも前年の高米価や政策変更の時間差など、主食用米を選びやすい事情があったと考える必要がある。

なお、2026年産について「農家が前年より作付面積を大幅に増やした」と理解するのは正確ではない。農水省が7月28日に公表した6月末時点の作付意向は136.0万ヘクタールで、前年より0.7万ヘクタール少なかった。

問題は面積の単純な増減ではなく、その作付水準でも需要を超えるだけの主食用米ができる見通しだったことである。平均的な単収なら732万トンとなり、政府の需要見通し上限711万トンを約21万トン上回る計算だった。

生産者からすれば、前年に高値で売れた作物を翌年も作ろうとするのは経営判断として理解できる。しかし日本全体の農家が同じ方向に動けば、供給が需要を上回り、今度は価格が急落する。

これは農業に限った話ではない。

高値になる

翌年も作ろうとする生産者が増える

供給が増える

価格が下がる

翌年は生産を控える

供給が減る

再び価格が上がる

この循環を毎年繰り返すのであれば、消費者にとっても農家にとっても好ましい市場とは言いにくい。

米は安ければ安いほどよいのだろうか?

消費者にとって値下がりは歓迎されやすいが、米価が農家の再生産を困難にするほど下がれば、長期的には国内の米生産そのものが弱くなる。

農業には肥料、農薬、燃料、農業機械、乾燥調製設備、人件費、水利費など多くのコストがかかる。価格が下がり過ぎれば、農家は利益を出せず、設備更新や後継者確保も難しくなる。

短期的には「5キロの米が安くなった」と消費者は喜ぶかもしれない。しかし、その価格を維持するために農家が赤字を抱え、生産者が減り、数年後に供給不足となれば、結局は再び急激な値上がりが起きる。

本当に必要なのは、

  • 消費者が購入できないほどの異常な高騰を避けること
  • 農家が再生産できないほどの暴落も避けること
  • 生産者が翌年の経営計画を立てられる価格水準をつくること
  • 不足時だけ増産を叫び、余れば減産させる政策を繰り返さないこと

ではないだろうか。

「米は主食なのだから、とにかく安くなければならない」という発想だけでは、日本の水田農業は維持できない。

米価は「安値」ではなく「高値安定」を目指してもよいのではないか?

当コラムでは、米価については乱高下を繰り返すよりも、農家が十分な所得を確保できる一定の高値で安定する方が望ましいと考える。

もちろん、2025年に見られたような短期間の急騰を肯定するものではない。問題なのは「高いか安いか」だけではなく、価格が予測可能であり、生産者と消費者の双方が生活設計を立てられるかどうかである。

米は重要な食料だが、現在の日本では炭水化物の選択肢は米だけではない。パン、うどん、そば、パスタなど、消費者には多くの代替食品がある。

米が高いと感じる人が一時的にパンや麺類へ消費を移すことも、市場経済では自然な選択である。一方で「主食だから安く供給し続けなければならない」と農家側だけに負担を求めれば、そのしわ寄せはいずれ国内生産の縮小となって返ってくる。

食料安全保障を本気で考えるのであれば、消費者ができるだけ安く買えることだけでなく、国内で米を作り続ける人がきちんと利益を得られることも同じくらい重要である。

来年また米価が上がる可能性をどう考えるべきか?

2026年の価格下落を見て翌年の生産が縮小すれば、今度は供給が減って価格が反発する可能性があり、こうした振り子のような生産調整を避けることが重要である。

現時点で「2027年は必ず米価が上がる」と断定することはできない。作付面積、天候、単収、在庫、需要、政府備蓄米の運用などによって需給は変わるためである。

しかし価格が大幅に下落すれば、生産者が翌年の主食用米を減らす方向へ動くことは経済合理性がある。そうなれば供給が減り、再び価格上昇圧力が生じる可能性は当然ある。

だからこそ、政府が毎年の価格変動を見て「今年は増産」「来年は減産」と誘導するだけでは問題は解決しない。

必要なのは、需要予測、民間在庫、生産量、輸出、備蓄を一体的に管理し、数年単位で安定した生産環境をつくることである。米農家が「来年いくらになるか分からない」という賭けのような経営を続ける状態こそ、改めるべきではないだろうか。

まとめ

新米が古米より安くなっているのは、2025年に高値で仕入れられた米が在庫として残る一方、2026年産米の供給が需要を上回る見通しとなり、新米価格が先に下がったためである。

しかも供給過剰の兆候は田植え後に突然現れたものではない。2026年1月末の時点ですでに民間在庫は前年を大幅に上回り、3月には主食用米の生産意向が政府の需要見通しを上回ることも公表されていた。

石破政権が米不足を受けて増産を打ち出し、その後の高市政権が需要に応じた生産へ軌道を修正した。その政策変更と農業現場の意思決定の時間差も、今回の需給のずれを考えるうえで無視できない。

米が足りなければ増産し、余れば減産し、翌年また不足する。こうした乱高下を繰り返すより、農家が十分な利益を得ながら安定して生産を続けられる価格を維持する方が、長期的には日本のためになるのではないだろうか。

消費者には米以外の食品を選択する自由がある。しかし日本の水田を守り、将来も国産米を食べられる環境を残すためには、農家には簡単に代替できない役割がある。

「米は安ければ安いほどよい」ではなく、「農家が作り続けられる価格はいくらなのか」。令和の米騒動と、その直後に起きた米余りは、私たちにその問いを突き付けている。