「最近の犯罪は昔より残酷になった」「日本の治安は急速に悪化している」と感じる人は少なくありません。結論からいえば、犯罪全体が一様に凶悪化したとは断定できませんが、詐欺や性犯罪、一部の強盗などが増え、衝撃的な事件が繰り返し報道されることで、実態以上に危険が広がったように見える面があります。本記事では、警察統計と報道の特徴を分けて考えます。
犯罪全体が凶悪化しているとは断定できない
日本では刑法犯認知件数が近年増加しているものの、その増加をそのまま「犯罪の凶悪化」と読み替えることはできません。
警察庁の「令和7年の犯罪情勢」によると、2025年の刑法犯認知件数は77万4,142件でした。2021年の戦後最少から4年連続で増加し、2019年の水準も上回っていますが、この数字には窃盗、詐欺、暴行、性犯罪など性質の異なる犯罪が含まれています。
つまり、刑法犯全体の件数が増えたからといって、殺人や強盗のような生命に直結する犯罪が同じ割合で増えているとは限りません。治安を判断するには、総数だけでなく、犯罪の種類、被害の程度、長期的な推移を分けて見る必要があります。
統計を見るときには、少なくとも次の三つを区別する必要があります。
- 刑法犯全体の認知件数
- 殺人や強盗など個別犯罪の件数
- 犯罪への不安や治安に対する印象
この三つは互いに影響しますが、同じものではありません。犯罪件数が減っていても不安が強まる場合があり、逆に件数が増えても、増加の中心が比較的軽微な犯罪である場合もあります。
「認知件数」は発生した犯罪の総数ではない
認知件数とは、警察が被害届、通報、捜査などを通じて犯罪の発生を把握した件数です。実際に起きた犯罪のすべてではなく、警察に届けられなかった被害は原則として含まれません。
相談窓口の整備や被害申告への意識が高まれば、犯罪行為そのものの増加だけでなく、これまで表面化しなかった被害が統計に現れることもあります。したがって、認知件数の増加には「犯罪が増えた面」と「犯罪が見えるようになった面」の両方が含まれます。
殺人と強盗は本当に増えているのか?
殺人と強盗は近年やや増加しているものの、長期的な変化を無視して「かつてない凶悪化」と表現するのは適切ではありません。
警察庁によると、2025年の殺人認知件数は976件、強盗は1,428件でした。いずれも前年を上回りましたが、強盗は2016年の2,332件を大きく下回っており、直近の増加だけを見て長期的な凶悪化と結論づけることはできません。
殺人も2021年の874件から増加していますが、年による変動があり、数年間の増減だけで社会全体の暴力性が高まったと判断することは困難です。人口減少の影響もあるため、本来は人口当たりの発生率や被害者と加害者の関係まで確認する必要があります。
一方で、強盗や侵入犯罪について警戒が必要ないという意味ではありません。2025年の侵入犯罪は5万8,492件で前年比9.2%増加しており、その約8割を侵入窃盗が占めました。身近な住宅や店舗が狙われる事件は、件数以上に生活上の不安を強めます。
無差別事件は社会全体の象徴になりやすい
通り魔、無差別襲撃、面識のない相手への殺傷事件は、発生件数が限られていても強い社会的衝撃を与えます。誰でも被害者になり得るように見えるため、自分とは無関係な特殊な事件として切り離しにくいからです。
家庭内や知人間で起きた事件よりも、駅、学校、商業施設など公共空間で起きた事件の方が、自分の日常と重ねて受け止められます。その結果、一つの事件が社会全体の治安を代表しているかのような印象を残します。
「凶悪犯が増えた」という統計には注意が必要である
警察統計上の「凶悪犯」は日常語の「残虐な犯罪」と完全に同じ意味ではなく、分類方法や法改正の影響を受けます。
警察統計の包括罪種では、凶悪犯に殺人、強盗、放火、不同意性交等が含まれます。2025年の凶悪犯は2019年より54.8%増えていますが、その増加の主な要因は不同意性交等の認知件数の増加でした。
不同意性交等の認知件数は、2019年の1,405件から2025年には4,177件へ増加しています。ただし警察庁は、2023年施行の改正刑法による規定の整備や、被害を申告・相談しやすい環境づくりも認知件数増加の要因と推認しています。
このため、「凶悪犯が54.8%増えた」という数字だけを示すと、殺人や強盗が一斉に急増したような誤解を招きます。実際には、犯罪類型ごとの動向と、法律や被害申告環境の変化を併せて読む必要があります。
統計上の増加を解釈するときは、次の点を確認することが重要です。
- どの犯罪が増加分の中心なのか
- 法律上の犯罪要件が変更されていないか
- 警察への相談や被害申告が増えていないか
- 一時的な増加か、長期的な傾向か
数字は客観的に見えますが、集計される対象や社会制度が変われば意味も変わります。統計は結論そのものではなく、社会の変化を考えるための材料です。
なぜ報道を見ると犯罪が急増したように感じるのか?
報道は社会的影響が大きく、映像や物語性の強い事件を詳しく扱うため、犯罪の発生頻度と報道量は必ずしも比例しません。
殺人や強盗は日常的な窃盗より件数が少なくても、被害の重大性、映像の衝撃、捜査の展開、容疑者の背景など多くのニュース要素を持っています。一つの事件が発生すると、速報、現場中継、容疑者逮捕、送検、裁判と、同じ事件が何度も報じられることもあります。
視聴者から見れば、毎日のように別の凶悪事件が起きているように感じても、実際には一つの事件の続報を繰り返し目にしている場合があります。報道回数は犯罪件数ではないという区別が必要です。
さらに、インターネットでは全国各地の事件が地域の境界を越えて瞬時に共有されます。かつては地元紙や地域ニュースだけで扱われた事件も、映像や投稿が注目されれば全国規模で知られるようになりました。
現在の情報環境では、次のような現象が重なります。
- 一つの事件が複数の媒体で繰り返し報じられる
- 防犯カメラやスマートフォン映像が拡散される
- 過去の類似事件が関連記事として表示される
- SNSの反応自体が新たなニュースになる
その結果、実際の発生件数以上に、犯罪情報へ接触する回数が増えます。犯罪が突然身近になったように感じる背景には、社会の危険度だけでなく、情報の到達範囲が広がったこともあります。
悪い情報ほど記憶に残りやすい
心理学では、同程度の肯定的な情報よりも否定的な情報に注意を向け、学習し、判断に用いやすい傾向が「ネガティビティ・バイアス」と呼ばれています。危険な事件の情報は平穏な日常よりも強く記憶に残るため、社会全体を評価するときにも大きな影響を与えます。
一日に多数の地域で事件が起きなかったことはニュースになりませんが、一件の重大事件は全国に報じられます。私たちは「何も起きなかった日々」ではなく、「起きた一件」を材料に治安を判断しやすいのです。
現実に深刻化している犯罪もある
犯罪全体を一括して凶悪化と呼ぶのは正確ではありませんが、詐欺やサイバー犯罪など、実際に被害が深刻化している分野はあります。
2025年の詐欺認知件数は7万2,532件で、2019年より4万325件増加しました。警察庁は、知能犯の増加が刑法犯全体の押し上げに大きな影響を与えたと分析しています。
特殊詐欺、SNS型投資詐欺、ロマンス詐欺などは、対面で暴力を振るう犯罪ではありません。しかし、被害者の生活資金や老後資金を奪い、精神的にも追い詰めるため、被害の深刻さは認知件数だけでは測れません。
また、犯罪の実行役をSNSで募集する「闇バイト」や、構成員を入れ替えながら活動する匿名・流動型犯罪グループの存在も、社会不安を強めています。従来型の暴力団とは異なり、一般の若者が短期間で強盗などに加わる構造は、犯罪者と日常社会の境界が見えにくくなるからです。
現代の犯罪で特に警戒すべき変化は、次のように整理できます。
- SNSを通じて犯罪の実行役が集められる
- 遠隔地から被害者をだますことができる
- 個人情報が複数の犯罪に利用される
- 犯罪組織の全体像が見えにくい
この変化は、犯罪が単純に残虐になったというより、技術を利用して効率化、分業化、匿名化したことを意味します。現代の脅威を理解するには、暴力の強さだけでなく、犯罪の仕組みを見る必要があります。
治安への不安は単なる思い込みではない
犯罪への不安には報道の影響がある一方、実際の犯罪増加や社会構造の変化も反映されており、すべてを印象論として片づけるべきではありません。
警察庁が2025年10月に全国の15歳以上5,000人を対象として行ったインターネット調査では、日本の治安を「よい」と答えた人は60.3%でした。その一方で、過去10年間に治安が「悪くなったと思う」と答えた人は79.7%に上っています。
一見すると矛盾していますが、「現在も国際的、全体的には安全だが、以前より悪化している」と感じる人が多いと考えれば両立します。治安への評価は、絶対的な安全性と、過去との比較によって異なるからです。
同調査では、治安が悪化したと考える理由として、詐欺などへの不安やインターネットニュースで犯罪報道を見る機会の増加が挙げられています。犯罪被害の変化と情報接触の増加が、同時に体感治安を下げているとみるべきでしょう。
体感治安とは、統計上の犯罪件数とは別に、人々が生活の中で感じる安全や不安の程度です。統計だけで不安を否定するのも、印象だけで治安崩壊を断定するのも、どちらも現実の一面しか見ていません。
犯罪統計と報道をどう読めばよいのか?
治安を正確に判断するには、事件の衝撃度ではなく、犯罪類型ごとの長期推移と情報の伝わり方を分けて確認することが重要です。
重大事件が報じられたときは、まず個別事件の残虐性と、社会全体の犯罪傾向を切り離して考える必要があります。極端な事件が起きたことは事実でも、それだけで同種事件が全国的に急増しているとは限りません。
判断の際には、次の順序で確認すると全体像をつかみやすくなります。
- 何年の、どの犯罪統計なのか
- 前年比だけでなく10年程度の推移はどうか
- 増加の中心となった犯罪は何か
- 法改正や被害申告の変化はあるか
- 報道件数と犯罪件数を混同していないか
また、全国統計が改善していても、自分の地域や生活環境で特定の犯罪が増えていれば、必要な防犯対策は変わります。統計は安心するためでも恐怖をあおるためでもなく、どの危険に備えるべきかを見極めるために使うものです。
まとめ
犯罪が凶悪化しているように見える背景には、近年の刑法犯認知件数の増加、一部の強盗や詐欺の深刻化、性犯罪の顕在化、衝撃的な事件を繰り返し伝える報道環境があります。
ただし、犯罪全体の増加と、殺人や強盗の増加、統計上の「凶悪犯」の増加は同じ意味ではありません。特に凶悪犯の増加には、不同意性交等の認知件数や法制度、被害申告環境の変化が大きく影響しています。
日本の治安を考えるうえで必要なのは、「昔より安全だから問題ない」と楽観することでも、「社会全体が凶悪化した」と悲観することでもありません。統計が示す現実と、報道によって形成される印象を区別し、実際に増えている犯罪に具体的に備える視点が求められます。
主な参考資料
- 警察庁長官官房「令和7年の犯罪情勢」2026年2月公表、2025年対象。
- 警察庁「犯罪統計資料(対前年同期比較)」用語の解説・確定値。
- 法務省「令和7年版 犯罪白書」2025年公表、主として2024年以前の統計を収録。
- 警察庁「治安に関するアンケート調査」2025年10月実施、「令和7年の犯罪情勢」収録。
- Vaish, Grossmann and Woodward, “Not all emotions are created equal: The negativity bias in social-emotional development,” 2008.
