なぜ日本の行政は「デジタル後進国」と呼ばれるのか

 2021年9月、菅義偉政権のもとで「デジタル庁」が発足した。日本社会全体のデジタル化を推進し、縦割り行政の壁を打破するという壮大なミッションを掲げた新組織である。
 しかし、設立から4年が経過した今、「何がどこまで進んだのか」という問いに明確に答えられる国民は少ない。

 OECDが発表した「デジタル政府指数」(Digital Government Index)では、日本は加盟国中22位(2023年時点)。行政データの共有・利活用、オープンガバメント、オンラインサービス提供など、ほぼすべての分野で主要国に遅れを取っている。
 特に問題なのは「手続きのオンライン化率」だ。政府統計(総務省「行政手続オンライン化状況調査」)によれば、2024年度時点でオンライン申請が可能な手続きは全体の約4割にとどまり、実際に利用されているのはそのうちの2割程度にすぎない。

 なぜ日本はここまでデジタル化に遅れを取ったのか。その背景には、組織文化と法制度の両面に根深い課題がある。

なぜ行政DXは「掛け声倒れ」に終わりがちなのか

 「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」は単なるIT導入ではない。業務プロセスそのものを変革し、データを軸に政策立案や住民サービスを最適化する試みだ。
 しかし、日本の行政現場では、依然として紙文化・ハンコ文化・前例主義が根強く残る。

 たとえば自治体の戸籍システムは、自治体ごとに仕様が異なり、ベンダーごとの独自設計となっている。全国約1,700自治体がそれぞれ別のシステムを運用しており、データ互換性がない。
 デジタル庁はこの構造的問題に対して、2025年度をめどに「標準仕様化」を進めているが、ベンダー側の抵抗や既存契約の縛りで進捗は鈍い。実際、2024年度時点で標準化対応済みは自治体全体の3割強にとどまる。

 行政DXが掛け声倒れになりやすい最大の理由は、「デジタル化を目的化している」ことだ。デジタル庁幹部の一人はインタビューでこう語ったという。
 > 「多くの省庁や自治体が“DX化しました”という報告を上げるが、実際には単なるシステム更新にすぎない。業務フローを変えなければDXではない。」

マイナンバーは“失敗プロジェクト”なのか

 行政DXの象徴といえば「マイナンバー制度」だ。国民一人ひとりに番号を付与し、社会保障・税・災害対応などの情報を一元管理する――その理念は明快だ。
 だが、現実にはトラブルが相次いだ。2023年には「別人情報の紐付け」や「カード交付ミス」が全国で多発し、総務省の調査では確認件数が9,000件を超えた。

 マイナンバー自体は制度として優れているが、「設計思想が現場に伝わっていない」。
 たとえばカードと口座のひもづけでは、自治体職員が手作業で入力する工程が残っている。AIによる照合や自動検証は部分導入にとどまり、結局“人間の確認”がボトルネックになっている。

 興味深いのは、民間の保険会社や銀行が同様の本人確認システムをわずか数年で構築した事実である。マイナンバー制度が10年経っても完全に機能していないのは、行政の責任範囲を明確化できない構造的欠陥の表れだといえる。

「縦割り構造」と「責任の所在不明」が最大の障壁

 デジタル庁は、内閣直属の「横断的組織」として設立された。だが実際には、各省庁のシステム統合を指揮する権限は限定的である。
 総務省、厚労省、文科省などがそれぞれに独自のデジタル戦略を持ち、予算執行も別々。デジタル庁が「司令塔」として統制を図ろうとしても、法的拘束力を持たない「調整」に留まっているのが現実だ。

 実際、2024年度の政府予算を見ると、デジタル庁関連予算は約2,000億円だが、総務省の自治体DX支援事業や厚労省の医療情報システム予算などを合わせると、全体では1兆円を超える。
 つまり、デジタル庁のリーダーシップが及ぶ範囲は全体のわずか2割程度にすぎない。

 また、情報漏洩やシステム障害が発生した際の「責任の所在」が曖昧なことも課題だ。中央と地方、委託業者の三層構造のなかで、誰が最終責任を取るのか不明確なまま、トラブルが“行政のせい”として処理されるケースが多い。

世界の行政DXはどこまで進んでいるのか

 比較対象として、エストニア、デンマーク、韓国などは参考になる。
 エストニアでは国民の99%がオンラインで行政手続きを完結でき、医療・教育・納税まで統合IDでアクセス可能。行政職員の人数も1990年代から約3割削減された。
 韓国では「政府24」プラットフォームで、3000以上の手続きをオンライン完結。マイナンバーに相当する「住民登録番号制度」が実務的に機能している。

 これらの国に共通するのは、「法制度・データ基盤・人材育成」の3点をセットで改革したことである。
 一方の日本は、制度(マイナンバー)だけ先行し、データ連携や業務改革が後回しになった。いわば「IT化した昭和体制」のまま走り出してしまったのである。

デジタル人材は足りているのか?

 デジタル庁の職員はおよそ1,000人。そのうち民間出身者は約4割を占める。
 しかし、民間の優秀なエンジニアが行政組織で能力を発揮できるかというと、話は別だ。
 給与は国家公務員基準に縛られ、調達プロセスも煩雑。スピード感のあるプロジェクト運営が難しい。
 実際、民間から参画した職員の約3割が1年以内に退職している(デジタル庁職員構成・離職率調査2024年度報告)。

 根本的には、「官民の思考様式の違い」が大きい。民間は「失敗から学ぶ文化」だが、行政は「失敗を避ける文化」。
 このギャップを埋めなければ、DXどころか単なる“デジタル化ごっこ”に終わってしまう。

それでもデジタル庁が果たすべき役割とは?

 現場の課題は山積しているが、デジタル庁の存在意義は依然として大きい。
 なぜなら、行政のデジタル化はもはや避けて通れない国家課題だからだ。

 2024年の能登半島地震では、被災者支援金の給付にマイナンバーを活用する試みが行われた。これまで自治体ごとに異なっていた申請プロセスが統一され、支給スピードは平均で従来比1.8倍に改善した。
 小さな成功事例だが、これこそ「行政DXの価値」を示すものだ。

 また、2025年には「ガバメントクラウド」の全国導入が完了予定。これにより自治体が共通インフラ上で業務を運用できるようになり、コスト削減とセキュリティ強化の両立が見込まれる。
 つまり、デジタル庁は“改革の旗手”というより、“統合の仕組み”そのものになりつつあるのだ。

日本のDXを進めるカギは「文化の変革」にある

 デジタル庁は万能ではない。
 しかし、組織や制度を変えるには「文化の変革」が不可欠である。行政の中に「失敗を恐れない実験精神」を根づかせ、データを共有し、成果を国民と可視化していく。
 これはテクノロジーではなく“マインドセット”の問題だ。

 日本の行政DXが真に進むのは、「誰が責任を取るか」ではなく、「誰が動かすか」を問う文化が根づいたときだろう。
 その意味で、デジタル庁の真の挑戦は、**“組織のデジタル化”ではなく、“意識のアップデート”**にある。