スマホの中に残る「もう一人の自分」
私たちの生活は、もはやデジタルなしには語れない。日々更新されるSNS、取引される暗号資産、クラウドに保存された膨大な写真やメッセージ。それらは、死後も消えずに残り続ける。つまり、現代人の死は「肉体の死」と「デジタル人格の存続」という二重の位相を持つようになった。では、この「デジタル遺産」を誰が、どのように管理するのだろうか。
なぜデジタル遺産は相続問題を引き起こすのか?
従来の相続は、土地・建物・現金・株式といった「形ある財産」が中心であった。しかし、今や財産の一部はデータとして存在する。
- SNSアカウント:FacebookやInstagramでは、故人のページが「追悼アカウント」として残される場合がある。だが、本人以外がログインすれば規約違反となるケースも多い。
- 暗号資産:ビットコインやイーサリアムなどのウォレットは、秘密鍵がなければ相続人でもアクセスできない。2021年には、国内でも相続人が故人の暗号資産を取り戻せず裁判になった事例が報じられた。
- クラウドデータ:Google DriveやiCloudに保存された写真や文書は、相続財産に含まれるのかが曖昧である。
これらのデジタル遺産は、法律上の「財産権」とプラットフォームごとの「利用規約」が交錯するため、相続時にトラブルの火種となる。
法制度はどこまで追いついているのか?
日本の民法は、財産を「有体物」または「権利」として規定している。しかしSNSアカウントは権利なのか?思い出の写真は財産か?この問いに明確な答えを出せる法律はまだ存在しない。
実務的には、次のような対応が行われている:
- SNS事業者の対応
- Facebook:追悼アカウント化または削除を選択可能。ただし事前設定が必要。
- Twitter(X):遺族の申請により削除対応。ただし内容の引き継ぎは不可。
- Google:インアクティブアカウントマネージャーを利用すれば、一定期間ログインがなかった場合に指定の人物へデータを移行可能。
- 暗号資産取引所の対応
- 国内の主要取引所では、相続人からの請求に応じて資産を引き渡す制度を整備しつつある。ただし、本人の秘密鍵管理が個人ウォレットであった場合は救済困難。
- 法改正の動き
- 法務省は「デジタル遺産の法的性質」について研究を進めているが、現行法では明確な規定がなく、ガイドラインや裁判例の積み重ねに依存している状況だ。
実例から見えるデジタル遺産の難しさとは?
- 暗号資産をめぐる裁判
ある投資家が急逝し、数百万円分のビットコインが遺族の手に渡らなかった。秘密鍵が本人のパソコンに暗号化されており、解除不能であったためである。裁判所は「暗号資産は財産に含まれる」と判断したが、実際にはアクセスできず、価値が消失した。 - SNSでの“デジタル墓”
故人のFacebookページに、命日のたびにメッセージが書き込まれる現象がある。これを「心の拠り所」と捉える人もいれば、「消してほしい」と望む遺族もいる。デジタル遺産は、財産的価値だけでなく心理的・社会的意味を帯びている。
なぜ事前準備が必要なのか?
デジタル遺産は、紙の遺言状には書ききれない要素を多く含む。そのため、以下の対策が有効とされる。
- デジタル遺言の作成
パスワード管理アプリや秘密鍵の保管方法を指定し、信頼できる人に託す。 - サービスごとの事前設定
GoogleのインアクティブアカウントマネージャーやFacebookの追悼設定を活用する。 - 専門家への相談
弁護士や司法書士がデジタル遺産の取り扱いに対応し始めている。
デジタル遺産の未来はどうなるのか?
法制度の整備は遅れているが、社会的需要は急増している。将来的には以下の方向性が予想される。
- 法的な包括規定の整備
デジタルデータを明確に相続財産として位置づける。 - プラットフォームの義務化
各社が一定の「アカウント継承制度」を設けることが求められる。 - ブロックチェーン技術の活用
相続プロセスをスマートコントラクト化し、自動的に権限移行を行う仕組みが考えられる。
デジタル時代の死後は「準備」がすべて
肉体の死後も残る「デジタルの残影」。それを放置すれば、家族にとっては負担となり、社会にとっては“デジタル孤児”を生み出すことになる。
「デジタル遺産は財産である」という視点を持ち、法制度の整備を待つだけでなく、私たち一人ひとりが生前から準備を進めることが必要だろう。