1. 「安いエネルギー」が国を弱くする時代

私たちは長く「安さ」こそ正義だと信じてきた。
安い電気、安いガソリン、安い輸入品。その結果、企業はコスト削減を最優先し、国家の供給基盤を海外に委ねる構造が定着した。
しかしロシアによるウクライナ侵攻、中国のレアアース輸出規制、そして中東の不安定化。これらは、エネルギーや資源の供給が武器化される時代の到来を示している。

経済と安全保障が一体化した現代において、安さを追い求める国家は、同時に脆弱さを積み上げていると言える。
「経済安全保障」とは、単なる経済政策ではない。
それは**“供給の国防”**であり、国の生命線を守る行為そのものである。

2. 日本が抱える“静かな危機”

日本のエネルギー自給率はわずか13%台(2024年度時点)。
先進国の中でも最低水準にある。原油・天然ガス・石炭の多くを輸入に頼り、しかもその輸入先の約9割が中東地域に集中している。
ホルムズ海峡が封鎖されれば、数週間で燃料は枯渇する――この脆さこそ、真の安全保障リスクである。

加えて、再エネ推進の掛け声とは裏腹に、送電網整備や蓄電技術の遅れが続く。
結果として、火力依存の構造は変わらず、CO₂削減と電力安定供給の両立が進まない。
この「構造的な無策」こそが、日本の経済安全保障を最も危うくしている。

3. 「備蓄」から「生産」へ──自立のための発想転換

安全保障の基本は“備えること”だが、経済安全保障においては「備蓄」だけでは不十分だ。
石油備蓄があっても、国内で精製・供給できる体制がなければ意味をなさない。
今求められるのは、エネルギーを生み出す力を取り戻すことだ。

その一つが、小型モジュール炉(SMR)などの次世代原子力技術だ。
安全性の高い新型炉を活用し、地方の産業・雇用と結びつけることができれば、エネルギー自立と地域活性の両立が可能になる。
また、バイオマスや地熱など地域密着型の再エネも、“分散型国防”の一環として位置づけ直すべきだ。

4. 「電力」は国家の防衛線

近年、海外では電力網へのサイバー攻撃が現実の脅威となっている。
発電所や送電システムが狙われれば、軍事力を持たずとも国家機能を麻痺させることができる。
つまり、電力こそ現代の防衛線である。

経済産業省は2025年度から「重要インフラのサイバー防衛」を強化する方針を掲げているが、
この動きは単なるIT政策ではなく、経済安全保障そのものだ。
政府、企業、そして国民が“電力を守ることは国家を守ること”という意識を共有する必要がある。

5. 価格より「誇り」を基準に

日本の製造業は、長年「安く・早く・大量に」という効率主義を競ってきた。
だが、経済安全保障の観点から見れば、その価値基準は逆転する。
いま必要なのは、**多少高くても国内で作ることに意味を見出す“誇りの経済”**である。

たとえば、国産半導体や国産エネルギー技術への投資は、単なる産業支援ではない。
それは「国家の独立」を金額で換算したものだ。
日本が自らの技術で生活を支えられる国になること――それが真の経済成長であり、安全保障の基盤となる。

6. 国民一人ひとりが“エネルギー戦略”を持つ時代

電気を消す、再エネを選ぶ、国産製品を買う。
そうした個々の選択の積み重ねが、国家のエネルギー政策を動かす。
「国防」は遠い世界の話ではなく、家庭の電気のスイッチにまでつながっている。

経済安全保障の成否を決めるのは、政治家でも企業でもない。
それを支える“国民の覚悟”である。

供給の自立こそ、国家の独立

日本が再び「ものづくり大国」として世界に存在感を示すには、
経済と安全保障を分けて考える時代を終わらせなければならない。
エネルギー、食料、技術、通信――そのすべてが「供給の国防」であり、
それを守る意思が国家の独立を決める。

“経済安全保障”とは、最終的には「私たちの生き方の選択」である。
安さより誇りを、効率より自立を。
それが、これからの日本の生き残り戦略だ。