なぜ「嘘」が拡散されるのか

インターネットやSNSが普及した現代、情報は誰でも発信できる一方で、真偽不明の“フェイクニュース”が日常的に目に飛び込んでくる時代になった。ウイルスのように拡散される偽情報は、社会を混乱させ、個人の判断を狂わせ、国家間の緊張すら煽る。

いま問われているのは、「なぜ嘘が広まり、本当が届きにくいのか」という構造的な問題と、それにどう立ち向かうかという“情報判断力”のあり方である。

フェイクニュースの定義──単なる誤報ではない

「フェイクニュース」とは何か。単なる誤報や記者のミスとは異なり、意図的に虚偽の情報を作り、それを拡散することによって人々の信念や行動に影響を与えようとする行為を指す。

この定義にはいくつかの重要な要素が含まれている。

  • 意図的であること(ミスではなく操作)
  • 感情を煽る内容であること(怒りや恐怖など)
  • 拡散しやすい構造になっていること(タイトルや画像、SNSとの親和性)

つまりフェイクニュースは、「人を騙すことを目的とした情報設計物」なのである。

なぜ人はフェイクニュースを信じてしまうのか

私たちは思っている以上に「嘘」に弱い。それは単なる知識の不足ではなく、人間の脳の構造や心理的な特性が深く関係している。

① 確証バイアス

人は、自分の信じたいことや価値観に合致する情報を信じやすく、反対の情報には懐疑的になる。これを確証バイアスと呼ぶ。

たとえば、ある政党を支持している人は、その政党を肯定する情報には飛びつき、否定的な情報は「フェイクだ」と切り捨てる傾向がある。

② 認知の過負荷

情報量が多すぎる時、人間は“情報の質”ではなく“印象”で判断しがちになる。つまり、「内容を精査する暇がない」という状態が、フェイクニュースにとって格好の温床になる。

③ 感情誘導

怒りや恐怖、嫌悪などの強い感情は、理性的な判断を鈍らせる。フェイクニュースの多くは、こうした感情を意図的に喚起することで拡散を狙っている。

SNSの構造が“真実”を遠ざける

現代の情報流通において、SNSは主戦場となっている。しかしその構造自体が、フェイクニュースの温床になりやすい設計になっていることはあまり意識されていない。

① 拡散のスピードと規模

SNSでは情報が「拡散」されることで価値を持つ。そのため、センセーショナルで過激な内容の方が注目されやすく、アルゴリズムによって優先表示される。

真実は地味で、嘘は派手である。この構造では、嘘が勝つ。

② エコーチェンバー(反響室)

同じ価値観の人々が集まることで、自分の意見と同じ情報ばかりが目に入るようになる。異なる意見が見えなくなるため、フェイクニュースが“疑われることなく共有される環境”ができあがってしまう。

③ 誰もがメディアになる世界

SNSでは一人ひとりが“報道者”のような立場になり、情報の発信源と検証者の境界が曖昧になる。結果として、「信頼できる情報源」という概念が薄れていく。

AI時代のフェイクニュース──ディープフェイクの脅威

近年では、AI技術の進化により“ディープフェイク”と呼ばれる偽動画・偽音声技術が登場している。政治家が言ってもいない言葉を話しているかのような動画が作られ、SNSで流された場合、真偽を即座に見抜くことは困難である。

このような時代においては、「目で見たから本物だ」「動画だから信じられる」という感覚は、もはや通用しない。むしろ、“本物そっくり”に作られた偽物が、社会的影響を持ち始めているのだ。

2020年代に入り、欧米では選挙、戦争、パンデミックに関連してフェイクニュースが現実の政治・外交に重大な影響を及ぼしたケースが多数報告されている。日本も例外ではない。

情報判断力とは何か──学校でもメディアでも教えない力

では、このような時代において「正しい情報の選び方」はどこで学べばよいのか。

残念ながら、学校教育もマスメディアもこの問題に対して本格的な対応ができていない。国語や社会科では“読解力”や“歴史認識”は教えるが、「情報を選別する力」「疑う力」はほとんど育まれない。

情報判断力とは、単に“正解を見抜く力”ではない。それは次のような思考の態度である。

  • 「これは本当か?」と常に問い直す姿勢
  • 複数の情報源をあたる習慣
  • 情報の“出どころ”や“文脈”を確認する習慣
  • 一次情報を重視し、加工された意見に流されない意識
  • 自分の思考にもバイアスがあることを前提にする謙虚さ

このような態度は、一朝一夕に身につくものではない。しかし、意識的に鍛えることは可能である。

私たちにできること──日常から始める“抗フェイク”の習慣

フェイクニュースとの戦いは、国家やIT企業だけの責任ではない。私たち一人ひとりの行動が、情報空間の健全性を左右する。

ここでは、日常的にできる対策をいくつか挙げておく。

① シェアする前に「疑う」

その情報は誰が書き、どこから来ているのか?出典はあるか?同様の内容が他のメディアでも報じられているか?を最低限確認しよう。

② 感情が動いたときほど立ち止まる

怒り、恐怖、嫌悪といった強い感情が動いたときこそ、情報の真偽を慎重に見極める必要がある。感情と拡散は相性が良すぎる。

③ メディアの偏向を知る

新聞、テレビ、ウェブメディア、個人ブログ──それぞれが異なるスタンスや立場を持っていることを理解しよう。その上でバランスよく情報に触れる。

④ 子どもと一緒に考える

未来世代にとって、情報判断力は「生きる力」そのものである。家庭や教育現場で、ニュースの見方、SNSの使い方について対話を重ねることが重要だ。

真実とは“見つけるもの”ではなく“鍛える力”

フェイクニュースの時代において、「真実を知りたい」と願うだけでは足りない。情報があふれ、加工され、操られる時代では、「見る力」「選ぶ力」「疑う力」が問われている。

真実はどこかに“ある”ものではなく、自分の中で“見極める”力によって得られるものだ。そしてその力は、日々の習慣と意識によって鍛えられていく。

情報が武器になる時代だからこそ、それを鵜呑みにせず、自らの頭で考え続けること。それこそが、フェイクニュースに負けない唯一の方法なのかもしれない。