「国会で質問すること」と「国益に資する議論」は同じではない

国会は政府を監視する場であり、与野党を問わず議員が自由に質問することは民主主義の基本である。しかし、その質問が国家の安全保障に関わる重要政策を扱うのであれば、一定の専門性が求められることもまた当然ではないだろうか。

2026年6月25日の参議院外交防衛委員会では、その点を改めて考えさせられる場面があった。

立憲民主党の田島麻衣子議員は、防衛大臣に対し「これまで抑止が機能し成功した例を教えてください」と質問した。これに対し防衛大臣は、

「抑止は成功したら何も起こらないものである」

「その事後に評価することは困難」

という趣旨の答弁を行った。安全保障を学んだ者にとって、この答弁は極めて基本的な考え方である。

抑止とは「何も起きないこと」である

抑止(Deterrence)とは、相手に攻撃を思いとどまらせることである。つまり、

  • 戦争が起きなかった
  • ミサイルが撃たれなかった
  • 軍事侵攻が行われなかった

これ自体が抑止の成果である可能性がある。逆に言えば、抑止が成功しているほど「事件は起きない」。だからこそ、

「成功例を証明してください」

という問いに対して、防衛当局は具体例を示すことが極めて難しい。冷戦時代の日米同盟やNATOの核抑止も、「何も起こらなかった」こと自体が抑止の成果であるという考え方が国際的には一般的である。

問題は一人の議員ではない

もちろん、一度の質問だけで一人の議員の能力全体を評価することは適切ではない。田島議員は国際機関勤務の経験があり、海外大学院で学んだ経歴も持つ。しかし、この問題の本質は個人ではない。

外交防衛委員会という、日本の安全保障を議論する場に、どの程度の専門性が求められているのかである。

国会議員は万能ではない。税制にも専門知識が必要であり、医療にも専門知識が必要であり、AIや半導体にも専門知識が必要である。では、国家の存立に直結する外交・安全保障だけは専門性が不要なのだろうか。

委員会はどのように選ばれているのか

一般には、「外交防衛委員会には外交・防衛の専門家が集まっている」と考えられがちである。しかし現実には、委員会の所属は各党の議席配分や党内事情によって決められる面が大きい。その結果、

  • 防衛政策を長年研究してきた議員
  • 元外交官
  • 元自衛官

が所属する一方で、必ずしも安全保障を専門としていない議員も委員となる。制度上は何ら問題はない。しかし、日本を取り巻く安全保障環境がこれほど厳しさを増した現在でも、その仕組みのままで十分なのかという議論はあってよいだろう。

日本を取り巻く安全保障環境は過去とは違う

現在、日本の周辺では

  • 中国による軍事活動の活発化
  • 台湾海峡を巡る緊張
  • 北朝鮮のミサイル発射
  • ロシアの軍事行動

など、安全保障上の課題が同時進行している。さらに宇宙・サイバー・電磁波・AIなど、新たな戦争の形も現実になりつつある。こうした状況では、防衛政策を議論する議員にも一定水準の理解が求められることは否定できない。

海外では専門性を重視する傾向がある

もちろん、海外でも国会議員全員が軍事の専門家ではない。しかし、アメリカやイギリスなどでは、外交・軍事を担当する委員会では長年同じ分野を担当する議員が多く、シンクタンクや軍経験者、外交官との継続的な議論を重ねながら政策を形成している。そのため、質問も

「抑止とは何か」

という段階ではなく、

  • 抑止がどの条件で弱まるのか
  • 中国の戦略をどう評価するのか
  • 防衛費の使い方は妥当か

といった具体的な政策論へ進む。日本も、こうした専門性を高める努力は参考になるだろう。

「質問する自由」と「議論の質」は別問題

民主主義では、誰でも質問できる。しかし、

どのような質問をするかによって、国会審議の質は大きく変わる。

例えば今回であれば、

「抑止の成功例はありますか」ではなく、

  • 政府は抑止力をどのような指標で評価しているのか
  • 中国の軍拡は日本の抑止戦略にどのような影響を与えるのか
  • 日米同盟の抑止力を今後どう維持するのか

といった質問であれば、防衛政策そのものを深く検証する議論になった可能性がある。限られた国会審議時間は、国民にとって貴重な資産でもある。だからこそ、質問の質は重要なのである。

日本は専門性を軽視していないか

近年、日本では「政治家は専門家でなくてもよい」という考え方を耳にすることがある。確かに政治家は国民の代表であり、学者ではない。

しかし一方で、国家予算、外交、安全保障、エネルギー政策など、高度な専門知識が不可欠な分野も存在する。専門家だけで政治を行うことは望ましくない。しかし、専門性を軽視した政治もまた、国益を損なう危険性を持つ。

今こそ問われるべきは「委員会の質」である

今回の質疑を巡っては、質問内容に対して元自衛隊幹部など安全保障の専門家から厳しい批判も上がった。重要なのは、その批判の是非ではない。私たちが考えるべきなのは、

「日本の外交・防衛を議論する委員会は、本当に十分な専門性を備えた場になっているのか」

という制度そのものの問題である。安全保障は、失敗してからやり直せる政策ではない。だからこそ、国会には活発な議論だけでなく、質の高い議論が求められる。

日本の未来を左右する外交・防衛政策を誰が議論し、どのような知識と責任を持って判断するのか。今回の質疑は、その根本的な問いを私たち国民に投げかけている。