なぜ「結婚しない」選択が広がっているのか?

日本ではいま、「結婚しない自由」が現実的な生き方として受け入れられつつある。
厚生労働省の2024年版人口動態統計によると、生涯未婚率(50歳時点で未婚の人の割合)は男性で28.3%、女性で18.7%に達した。30年前と比べると、男性で約3倍、女性で約2倍の上昇である。

かつては「結婚して一人前」と言われた社会で、いまや独身でいることが特別視されなくなった。理由は単に経済問題だけではない。
むしろ「自分の時間や価値観を大切にしたい」「誰かと暮らすより、ひとりで自由に生きたい」と考える若者が増えていることが大きい。

20代後半の女性会社員に取材すると、こんな答えが返ってきた。

「結婚したら幸せになれる、という物語を信じていないんです。 むしろ“自由が減る”イメージの方が強い。」

この感覚は、もはや一部の“個性的な人”に限られない。SNS上でも「#結婚しない生き方」「#おひとりさまの幸福論」といったハッシュタグが日常的に発信され、独身生活を前向きに捉える投稿が目立つようになった。

「子を持たない」という選択──親になることは義務ではない

結婚をしても、子どもを持たない選択をする夫婦も増えている。
内閣府の少子化白書によると、「子どもを持つことにこだわらない」と答える20代・30代の既婚者は全体の35%を超えた。

一方で、社会制度は依然として「子を持つ家庭」を標準として設計されている。税制上の扶養控除、教育費支援、住宅ローンの優遇制度など、多くが「子育て」を前提としている。
そのため、子を持たない夫婦やシングル世帯は、実際には多くの不利益を被っているのが現実だ。

しかし、ここでも新しい価値観が芽生えている。

「子どもを産むことが“正義”みたいな空気に違和感を覚えた」
「自分の人生を他者に委ねず、最期まで自分の責任で生きたい」

このような声が広がる背景には、教育費・住宅費の高騰、長時間労働など、将来への不安がある。だが同時に、「個としての尊厳」を重んじる時代の流れもある。

“子どもを持たない”ことを「逃げ」や「わがまま」とする見方はもはや時代遅れだ。
それは、自分の人生を設計するための主体的な選択にほかならない。

「家族」から「関係」へ──血縁を超えるつながりの誕生

この潮流のなかで、家族の定義そのものが揺らいでいる。
血縁や婚姻関係に縛られない「新しい家族」のかたちが、現実社会の中で少しずつ定着してきた。

例えば、ルームシェアや共同生活を選ぶ若者が増えている。
単なる経済的理由ではなく、「孤独を共有する仲間」としての緩やかな関係を求める人が多い。
また、LGBTQ+コミュニティでは「選んだ家族(chosen family)」という概念が広がり、友人やパートナーを“家族”として生きるスタイルが一般化しつつある。

社会学者・上野千鶴子氏は著書でこう指摘する。

「家族とは“制度”ではなく“関係”である。支え合いの意思があれば、法律上の婚姻関係に限定される必要はない。」

この考え方は、いまの若者世代の感覚に近い。
「結婚=家族」ではなく、「つながり=家族」。
日本語の「家族」という言葉が、これからはもっと広く、やわらかな意味を持つようになるのかもしれない。

「孤独」を恐れない世代──ソロ社会の成熟

少子高齢化社会では「孤独死」が社会問題として語られることが多いが、実際の若者世代は「孤独」を必ずしも否定的に捉えていない。
むしろ、自分の時間を持つことが精神的な安定につながると考える人が多い。

リクルートワークス研究所の調査では、20〜30代の約7割が「一人の時間が好き」と回答している。
「孤独」ではなく「独立」としての一人時間。それをポジティブに活かすライフスタイルが、SNSや動画プラットフォームを通じて広がっている。

ソロキャンプ、ソロ旅、ソロ活——これらのトレンドは、「ひとり=寂しい」という旧来の価値観を解体した。
誰かと一緒にいなくても幸せになれる社会。
それは、かつての“家族依存型社会”からの静かな脱却を意味している。

制度の遅れと社会の現実──「選択」を支える仕組みを

だが現実には、制度の側が個人の多様な生き方に追いついていない。
たとえば、単身世帯向けの住宅ローンは依然として審査が厳しく、老後の保証制度も「家族」を単位に設計されている。

孤独を選ぶ自由がある一方で、その自由を保障する社会システムが整っていない。
ここにこそ、政治・行政の課題がある。

政府が進める「孤独・孤立対策」は、現状では“孤立者の救済”が中心であり、“孤独を選ぶ人”への理解は乏しい。
「ひとりで生きる」ことを尊重する制度設計がなければ、いずれ社会の分断を深めることになるだろう。

いま必要なのは、「家族」ではなく「個」を単位にした社会保障の再設計である。
扶養控除や年金制度を個人ベースで見直すことで、ようやく真の「自由な選択」が成り立つ。

「誰と生きるか」ではなく「どう生きるか」

結婚しない、子を持たない──それは“何かを拒否する”選択ではない。
むしろ、“どう生きたいか”を真剣に考えた結果としての選択である。

結婚という制度は、もともと国家や社会が個人を管理するために作った枠組みでもある。
そこから距離を取り、自分のペースで人生を構築する人々は、ある意味で最も自立した存在だ。

「家族」は形を変えても、人は支え合いながら生きていく。
それが血縁でも、友人でも、オンラインのつながりでもかまわない。
“自分の生き方を自分で決める”という新しい倫理が、静かに社会に根付き始めている。

「結婚しない自由」も「子を持たない選択」も、もはや特異な生き方ではない。
それは、“どう生きるか”を問い直す時代の必然であり、日本社会が成熟した証拠でもある。

これからの社会に必要なのは、他者の選択を否定しない想像力と、
その多様性を支える制度の柔軟性だ。
「家族」という言葉が、もっと自由で優しい意味を持つ日が来ることを願いたい。