揺れは突然だった。予兆も速報もなかった
12月8日夜、東北地方を中心に長く強い揺れが広がった。
最大震度6強、M7.5という大地震であるにもかかわらず、多くの人のスマートフォンには緊急地震速報が届かなかった。
「いきなり揺れ始めた」「長く続いて恐怖を感じた」という声が相次ぎ、SNSは朝まで混乱が続いた。
そして地震の数時間後、国が初めて発表したのが 「北海道・三陸沖後発地震注意情報」 である。
しかし、この“初めて聞く情報”が、むしろ国民の不安と混乱を増幅させている。
なぜ緊急地震速報は機能しなかったのか。
なぜ地震の後に「次の地震に注意せよ」という曖昧な情報を出すのか。
そして、日本の地震予知はどこまで“限界”に来ているのか。
本稿では、国民が感じている疑問と不信感を正面から扱いながら、この制度の本質と問題点を整理する。
日本の地震予知はすでに“終了”している
まず確認すべき現実がある。
日本では「地震予知」はすでに制度として成立していない。
気象庁は2017年に「短期的な地震予知は不可能」と公式に宣言した。
古くは東海地震予知計画の撤退、南海トラフの事前予知断念――いずれも科学的成功例が一度もなかったことが理由である。
地震学は進歩しているが、地下深部の破壊現象を事前に正確に捉える手段は存在しない。
つまり、
■どこで
■いつ
■どれくらいの規模の地震が起きるか
これを事前に知ることは“現在の科学では不可能”である。
この前提を踏まえれば、今回の大地震で予兆がつかめなかったことは、残念ながら「科学的には当然の結果」だ。
なぜ今回、緊急地震速報が鳴らなかったのか
今回の不満の中心はここにある。
「こんなに大きな揺れだったのに、なぜ知らせてくれなかったのか?」
緊急地震速報(EEW)の仕組みはシンプルだ。
最初に届くP波を感知し、後から来る破壊的なS波の到達前に知らせる。
しかし、今回の地震では次の現象が重なった。
- 初期微動(P波)が小さかった
- 震源が深く、観測点から遠くなかったため、判定時間が足りなかった
- 観測された初期の振幅が小さく、推定震度がしきい値に達しなかった
- 揺れがすでに広域に伝播し始めた後で検知が確定した
つまり、システムが怠ったのではなく、物理的に間に合わなかった。
EEWには“原理的な限界”があり、今回のようなケースではどうしても鳴らない。
これは技術の問題ではなく、自然現象の制約そのものだ。
その直後に現れた「後発地震注意情報」という新制度
ここから話がややこしくなる。
今回、気象庁と内閣府は 史上初めて「北海道・三陸沖後発地震注意情報」を発表した。
制度の概要は以下の通りだ。
- 発表条件:日本海溝・千島海溝周辺で Mw7.0以上 の地震が発生したとき
- 趣旨:巨大地震発生の可能性が平常時より“相対的に”高まったと社会に伝える
- 注意期間:目安として1週間
- 目的:防災行動の再確認を促す
しかし、ここで多くの国民が混乱する。
「予知ではない」と説明しながら、「巨大地震が起きる可能性が高まった」と言う。
これでは“予知っぽい情報”ではないか。
政府も「具体的に何%高まったのか」といった数値は出さない。
実際には“起きないことの方が多い”という注釈までつく。
結果として、
確実性のない情報だけが発表され、国民は不安を抱えたまま放置される構図になっている。
制度の目的は理解できる。しかし、国民が求めているのは「曖昧な危険情報」ではない
政府の立場から見れば、この制度の意図は理解できる。
- 過去には大地震の後に、さらに巨大な地震(本震級)が続く例があった
- それに備えて注意喚起を行う
- 防災行動を社会全体で促す
しかし、現実には次の3つの問題が露呈している。
① 情報が不確実すぎて、不安だけを抱えさせる
「相対的に高い」「場合がある」「起きない可能性の方が高い」
――これでは判断できない。
② 「巨大地震を予知した」と誤解される危険がある
政府自身が「予知ではない」と強調しなければならない時点で、制度設計に問題がある。
③ 何をすべきかの行動指針が弱い
家具固定・備蓄・避難経路確認――
これらは“いつでも必要な対策”であり、後発地震注意情報の有無と関係ない。
制度の仕組みは善意だが、国民が求めているのは
「本当に危険なのかどうか、判断できるだけの情報」
であって、“曖昧な脅し文句”ではない。
津波予測も大きくぶれた──これで本当に警報の意味があるのか
今回の地震では、津波に関する予測の揺れ幅の大きさも、国民の不信感を強めた要因となった。
最初に発表されたのは「津波注意報」で、想定されていた高さは0.2〜0.5メートル程度だった。
ところが数分後、気象庁は一転して「津波警報」へ引き上げ、最大3メートルの津波が到達する可能性があると発表した。
しかし実際に観測された津波は40〜50センチ前後にとどまり、予測値との乖離は大きかった。
もちろん、津波警報は“過大評価側に倒す”よう設計されており、命を守るためには妥当とも言える。
しかし、ここまで予測が振れたことで、
「結局、どれを信じればいいのか」
「巨額の税金を投入している観測網の精度は本当に機能しているのか」
という疑問が噴出したのも事実だ。
予測が難しいのであれば、その“難しさ”自体をもっと丁寧に伝えるべきではないか――。
後発地震注意情報と同様、日本の防災情報は“説明不足の不確実性”が国民を惑わせている。
なぜ日本は「予知できないこと」をもっと正直に言えないのか
今回の最大の問題はここにある。
日本では長年、「地震予知こそが国の責務」であるかのように期待が作られた。
しかし科学はそれに答えられず、制度は崩壊したままである。
それにもかかわらず、
- 地震の後にだけ注意情報を出す
- しかし確率は示さない
- “可能性がある”という表現だけが独り歩きする
という 中途半端なコミュニケーション が続いている。
国民は本能的に気づいている。
「予知できないことを正直に言った方が、むしろ信頼できるのではないか」
と。
不確実なものを不確実なまま伝えるのは当然だが、その説明責任はもっと丁寧であるべきだ。
今必要なのは「恐怖の煽り」ではなく「現実的な備え」
本稿で最も強調すべき結論はここだ。
- 予知はできない
- 緊急地震速報にも限界がある
- 後発地震注意情報も確実性は低い
だが、これは “無力” を意味しない。
日本社会が取るべき方向性は明確である。
- 揺れたらすぐ避難するという行動習慣
- 津波想定区域の把握と避難ルート確認
- 家具固定・耐震補強の徹底
- 最低3日分の水・食料・携帯トイレなどの備蓄
- 「今回鳴らなかった」ことを前提とした自助行動
予知情報に頼る時代は終わった。
これから必要なのは、個人と地域が「情報に頼らず逃げられる社会」を作ることである。
不確実な時代に“信頼できる情報”とは何か
今回の出来事は、日本の地震観と行政の情報提供のあり方を根本から問い直す出来事になった。
- 予知はできない
- 速報は万能ではない
- 注意情報は不確実
その現実を正確に受け止めた上で、社会がどのように“備える文化”を作るかが問われている。
地震は止められない。
しかし、情報の伝え方と行動の仕組みは変えられる。
今回の揺れと混乱を、「誤った期待を正す転機」として位置づけることこそ、未来への最も現実的な一歩である。
