「観光立国」のかけ声と、その影で見えなくなるもの
インバウンド需要の回復が急速に進む中、日本は再び「観光立国」としての期待を背負っている。2025年には訪日外国人客数がコロナ禍前の水準を超える勢いで増加し、銀座や京都、北海道など各地の観光地は外国語が飛び交うにぎわいを取り戻している。
だが、この“復活劇”を歓迎する一方で、ある疑問が静かに広がりつつある。
――観光の経済効果は、果たして誰に届いているのか?
旅行者が増えれば、その地域の飲食店、宿泊施設、小売店、交通機関などが潤う──それが観光産業における一般的な経済循環モデルだ。だが現実には、大手旅行会社や外資系ホテルが莫大な売上を上げる一方で、地元の中小企業や個人商店には“恩恵の波”が届いていないケースも多い。
「観光が地域を潤す」は、もはや自明の理ではない。その実態を、データと現場の声から掘り下げてみよう。
外資系ホテルが“稼ぐ”都市:東京・京都・大阪の実態
観光庁によると、2024年の訪日外国人の消費額は約5.3兆円。過去最高を記録した2019年(4.8兆円)を上回る見通しだ。そのうち宿泊費は全体の約30%を占めており、巨大な市場である。
特に東京や京都、大阪などの都市部では、ラグジュアリー志向の訪日客が急増している。結果として、フォーシーズンズ、アマン、ハイアット、マリオットなどの外資系高級ホテルが次々と新規参入し、予約は常に高稼働率を維持している。
だが、こうした外資系ホテルの売上は、どれほど地域経済に還元されているのだろうか。
答えは「非常に限定的」である。
多くの外資系ホテルは、日本に現地法人を置く形で運営しているが、その本社はシンガポール、香港、アメリカなど海外にあることが多い。ホテルの収益は、一定の法人税を除いて、最終的に海外の親会社や投資ファンドに還元される構造となっている。
また、建設費や運営費用も大手ゼネコンや全国チェーンの清掃業者・警備会社などが担うケースが多く、地域内で完結する“地元経済循環”が成立しにくい。
地元の旅館や中小ホテルは「選ばれない」
一方、地域の中小旅館や家族経営の宿泊施設は、価格競争やブランディングで外資に押され、閑古鳥が鳴くことも珍しくない。特に京都市では、宿泊施設の約7割が赤字経営に苦しんでおり、「稼げているのは一部の高級ホテルだけ」との声も上がっている。
地方の小規模旅館の経営者はこう嘆く。
「インバウンドの波が来ても、うちは予約が伸びない。中国語も英語もできないし、大手サイトには埋もれてしまう。結局、都市部の有名ホテルに客が集中してしまうんです」
この構図が、全国で拡大している。
観光客の“お金の流れ”が地域を素通りする
インバウンド消費のうち、最も大きな割合を占めるのは「宿泊」と「買い物」だ。観光庁の2024年調査によれば、訪日外国人が支出した平均額のうち、宿泊が31.5%、買い物が24.7%となっている。
ところが、多くの旅行者はホテルを「旅行予約サイト」で事前にオンライン決済しており、地元には“実際にお金が落ちる機会”が少ない。さらに、買い物の多くも、空港の免税店や全国展開の大手ドラッグストア・百貨店で行われる。
「観光客は増えた。でも、商店街には来ない」
「お金は回っているように見えるけど、実際に潤っているのは外資のホテルと東京の大企業だけ」
――こうした地元の声は、観光統計だけでは見えてこない“経済の実感”である。
なぜ「観光と地元経済」が分断されるのか?
この分断の背景には、大きく3つの構造的要因がある。
① 経済のグローバル化と資本の集中
観光産業がグローバル資本の投資対象となる中で、ホテル建設や運営が外資の“金融商品”と化している。実際、多くの高級ホテルは外資系ファンドが所有しており、経営判断も「地域貢献」より「利回りの最大化」が優先される。
② 地元人材・サービスの排除
高級ホテルでは「国際水準のサービス」が求められるため、現地雇用ではなく“全国からの人材採用”や“外部委託”が中心となる。結果として、地域に雇用や技術が蓄積されにくい。
③ 地域ブランドと観光政策の乖離
多くの自治体は「外国人誘致」に積極的だが、その政策の多くは“大型開発ありき”で進められている。地域の小規模事業者や住民との対話が不十分なまま、観光公害(オーバーツーリズム)や地価高騰による生活圧迫を招いてしまうケースもある。
「地元とつながる観光」は実現できるのか?
この分断を乗り越えるための取り組みも、少しずつ始まっている。
● 京都・長野・北海道の「分散型観光」
過密な観光地に集中するのではなく、周辺地域や郊外へ旅行者を分散させる「分散型観光」が注目されている。長野県・飯山市では、古民家をリノベーションした宿泊施設に外国人を招き、地元住民と一緒に暮らす“滞在型観光”が成功している。
● 地域通貨やクーポンの導入
北海道・ニセコでは、宿泊客に地元の飲食店で使える「エリア限定クーポン」を配布し、外食需要の地元還元を促している。また、ブロックチェーンを活用した地域通貨の導入を進める自治体も現れ始めている。
● “観光税”による地域再投資
京都市は、宿泊客から徴収する「宿泊税」の使途を、観光公害対策や交通インフラ整備に活用している。今後は「地元商店の支援」や「地域文化の保存」にも再投資する構想がある。
観光が“絵空事”にならないために
観光は、本来「交流」や「体験」を通じて、地域と訪問者の相互理解を深めるものだ。だが、過剰な収益化や外資主導の構造が続けば、地域は単なる“観光商品の舞台”となり、本来の文化や暮らしが失われていく恐れがある。
観光の恩恵を本当に地域にもたらすには、次の視点が不可欠だ。
- 観光客数ではなく、地域内経済循環率の向上
- 中小事業者の参入支援とブランディング強化
- 地元住民との共存を前提とした観光政策の再設計
今後、日本が「観光立国」として持続可能な道を歩むには、「外資系ホテルが稼いで終わり」ではなく、「誰とどう利益を分け合うか」を真正面から議論する必要がある。
観光の成功とは、単なる数字ではない。そこに住む人々の実感がともなって、初めて意味を持つのだ。