──官僚・マスコミ・国民の無意識がつくった日本の現在地

第1部|国民編

なぜ私たちは疑わなくなったのか?

結論要約:疑うことが「合理的でない選択」になった社会が、無意識を変えた。

疑うという行為は、思っている以上に重い。
一つの情報を疑うには、別の情報を探し、比較し、自分なりの判断を下す必要がある。

それは知的で誠実な行為だが、
時間も体力も使う。

一方で、
「専門家が言っている」
「政府が決めた」
「テレビで見た」
という情報は、ほとんど考えなくて済む。

生活に余裕がないとき、人は自然と後者を選ぶ。
これは思考停止ではなく、環境への適応だ。

疑うには余白が必要だった

結論要約:疑う力は知性ではなく、生活の余白に依存する。

疑問を持つには、
「立ち止まる時間」が要る。

仕事に追われ、
家計に追われ、
常に評価される環境では、
立ち止まること自体がリスクになる。

疑うことは、
現状を一度否定することでもある。

余裕のない社会では、
現状肯定のほうが安全だ。

疑う人が得をしない経験の蓄積

結論要約:疑問を口にした結果、報われなかった経験が積み重なった。

職場で
「それは本当に必要ですか」
と聞く人は、扱いづらい。

学校で
「なぜそうなるのですか」
と聞く子は、空気を読まない。

地域で
「おかしくないですか」
と言う人は、面倒な存在になる。

こうした小さな経験が、
何度も繰り返される。

人は学習する。
疑っても、いいことはあまり起きない。

正しさが外部に委ねられてきた社会

結論要約:自分で考えなくても「正解」が配られる時代が長く続いた。

戦後日本では、
正しさは常に外にあった。

教科書
官庁
専門家
大手メディア

個人が悩む前に、
答えが用意されていた。

その仕組みは、
高度成長期には非常にうまく機能した。

だが同時に、
「自分で決める訓練」を不要にした。

考えなくなったのではない。
考える必要がなくなっただけだ。

疑うことが「態度として悪」になった

結論要約:内容以前に、疑う姿勢そのものが避けられるようになった。

近年、疑問を呈することは、
内容よりも「態度」で評価される。

疑う人は
非協力的
非科学的
空気を乱す
と見なされがちだ。

これは検閲よりも強い。
なぜなら、自分で自分を止めるからだ。

第2部|官僚編

なぜ官僚は規制を緩められないのか?

結論要約:官僚個人の問題ではなく、制度上「動かない」が最適解になる。

官僚はしばしば
「保身的」「前例主義」
と批判される。

だが、その行動は感情ではなく、
構造から導かれた合理性に近い。

規制を維持すれば、
問題が起きても「従っただけ」と言える。

規制を緩めて問題が起きれば、
判断した理由を問われる。

結果が同じなら、
責任が薄まる方を選ぶ。

前例主義はなぜ強固なのか?

結論要約:前例は「責任を分散させる装置」として機能する。

前例がある判断は、
個人の決断ではなくなる。

「前もそうだった」
この一言で、説明は終わる。

前例がない判断は、
すべて個人の責任になる。

この差は大きい。

前例主義は怠慢ではない。
自己防衛として合理的だ。

なぜ規制は増え、減らないのか?

結論要約:規制を作るインセンティブはあっても、減らす動機がない。

新しい規制を作ると、
「仕事をした」実績になる。

一方で、
規制を緩めても評価はされにくい。

むしろ、
問題が起きれば責任を問われる。

結果として、
規制は積み上がる一方になる。

国民管理が目的なのか?

結論要約:管理を目的にしているのではなく、管理が最も安全な結果になる。

官僚が国民を支配したい、
という単純な話ではない。

ただ、
自由を広げると説明責任が増える。
規制を維持すれば説明しなくて済む。

その積み重ねが、
結果として管理を強める。

第3部|マスコミ編

なぜ報道は同じ方向を向くのか?

結論要約:報道の均質化は、国民の需要と噛み合った結果である。

マスコミは
国民を一方的に洗脳しているわけではない。

国民は
分かりやすく
断定的で
安心できる
情報を求めてきた。

複雑で、
答えが一つでない記事は、
読まれにくい。

なぜ専門家の声ばかりが並ぶのか?

結論要約:断定する専門家のほうが「使いやすい」。

テレビや記事では、
断言する専門家が重宝される。

「可能性がある」
「状況による」
では、番組が締まらない。

断定は安心を生む。
安心は視聴率になる。

「報じない自由」が選ばれる理由

結論要約:沈黙は、最もリスクの低い判断である。

報じて間違えるより、
報じないほうが安全なテーマがある。

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行政
世論

すべてを考慮すると、
触れない判断は合理的になる。

マスコミと国民の共犯関係

結論要約:安心を求める国民と、安心を供給する報道が噛み合った。

マスコミは
単純な物語を提供する。

国民は
考えずに済む情報を受け取る。

どちらも楽だ。
だから続く。

これは支配ではない。
相互依存だ。

結論

日本で「疑う力」が弱まった本当の理由

結論要約:疑う余白が、生活から静かに消えた。

日本人は、
考えなくなったのではない。

考える時間
考える余裕
考えて失敗する許容

それらが削られただけだ。

集合意識は、
怒りでは変わらない。

違和感が、
静かに積み重なったときにだけ、動く。