「公明切り」論が再燃する今という政治局面

自民党内で、高市総理誕生を見据えた新たな連立の形が模索されている。その動きと歩調を合わせるように、「公明党を切れ」という声が再び強まっている。より明確な保守路線への転換や対中強硬策の徹底を求める主張の中で、特に外交・安全保障分野では「公明党抜きの政権」を待望する意見が目立つようになった。

だが、こうした「公明切り」という言葉に象徴される発想は、しばしば感情的な響きを帯びており、政治という営みの現実から大きく乖離している。国家のかじ取りは、理想や主張の強さだけで動くものではなく、「数」と「合意」という冷徹な土台の上に成り立つ。短絡的な感情論に流されれば、国益を損なう選択を自ら招きかねない。

「数の現実」を軽視すれば、政治は立ち止まる

国家を動かすうえで不可欠なのは、「数の力」である。どれほど立派な理念を掲げても、国会での合意形成という現実を乗り越えなければ、法案は一本たりとも成立しない。政府予算、防衛政策、外交戦略――いずれも議会の多数によって支えられて初めて実行に移される。

自民党と公明党の連立が長年続いてきた最大の理由は、この「数の安定」を確保するためだ。両党が協力することで、国会運営は滑らかになり、予算や重要法案は確実に前進する。逆に、公明党を切れば「数」が崩れ、法案審議や政権運営が不安定化するのは避けられないだろう。

連立は妥協ではなく、国家を止めないための技術である。この現実を無視して「切れ」と叫ぶことは、単に強気な主張というだけでなく、国の舵取りそのものを危うくする行為なのだ。

組織力という「見えない資源」

公明党が担ってきた役割は、議席の確保にとどまらない。選挙戦において、同党の持つ組織力と動員力は与党の戦略上、欠かせない存在である。特に接戦区では、公明党の支援が勝敗を左右する場面が少なくない。

この組織力を軽んじたまま連立解消に踏み切れば、政権の基盤は大きく揺らぐ。理念や政策の優劣ではなく、選挙に勝てるかどうかという“土台”が揺らぐのだ。選挙に勝たなければ政策は実現できず、国家戦略も立ち行かない。これは政治の冷徹な現実である。

「親中だから切れ」という主張の誤解

「公明切り」を唱える人々が最も多く挙げる理由の一つが、「公明党は親中だから切るべきだ」というものだ。母体である創価学会が中国と長年の関係を築いてきた歴史があることは事実であり、公明党が中国との対話ルートを維持しているのも確かだ。

しかし、それは単なる「親中」とは性質が異なる。公明党は日本の主権や安全保障を損なうような政策を掲げているわけではなく、中国との関係を維持しながらも、政府の対中方針に最終的には歩調を合わせている。対立が避けられない局面でも、冷静な対話の窓口を保ち続けることは、外交において重要な戦略の一つである。

国際政治の現場では、対話と抑止は表裏一体だ。対話のパイプを失えば、交渉の余地も影響力も失われる。公明党の存在は、日本がそうした「戦略的選択肢」を持ち続けるための手段でもある。

「パイプ役」としての戦略的役割

公明党の中国との関係は、単なる友好ではなく、「パイプ役」としての戦略的機能を持つ。政府が直接踏み込みづらい局面でも、公明党のルートが非公式な対話の場として機能し、緊張緩和の糸口をつくることがある。

これは日本に限らず、各国が外交の中で重視している手法だ。複数の交渉ルートを持つことは、国際政治の基本である。圧力と対話、対立と協調――それらを並行して進めることが、国益を守る現実的な戦略となる。公明党が持つチャンネルは、その一翼を担っていると言える。

「維新と組めばいい」という単純な話ではない

公明党との連立に批判的な立場からは、「代わりに日本維新の会と組めばよい」という声も聞かれる。しかし、現実はそれほど単純ではない。維新は多くの選挙区で自民党と競合しており、協力関係を築くこと自体が難しい。また、政策面でも公明党とは異なる思想を持ち、価値観の隔たりも小さくない。

仮に維新と連立を組んでも、それだけで国会運営が安定するとは限らず、むしろ選挙協力という根幹の部分で不安定さが増す可能性がある。「公明党の代わり」という発想自体が、現実を見誤ったものである。

感情ではなく「国家戦略」としての連立選択

「公明党を切れ」という主張は、感情的な共感を呼びやすい。しかし、国家運営は声の大きさでは動かない。求められているのは、現実を直視し、国益を最大化するための戦略的判断だ。

連立とは、妥協の結果ではなく、国家を動かすための手段である。数の安定を確保し、選挙に勝ち、外交の選択肢を広げる。そのすべてを同時に実現するための現実的な選択が、自民党と公明党の協力体制であり、それは今も変わっていない。

「切る」よりも「どう活かすか」を問うべきとき

「公明切り」という言葉は政治を単純化し、二元論で語ろうとする。しかし、政治は白黒の選択では動かない。切るか切らないかという次元を超えて、国会の停滞、外交の硬直、政権の不安定といった現実を見据えなければならない。

大切なのは、「連立をどう続けるか」ではなく、「いかにして国益を最大化するか」という視点である。公明党を排除するか否かという議論にとどまらず、国家の未来を左右する戦略的選択として、連立の意義と役割を再定義することこそが、今求められている。

感情に流されるのではなく、戦略で国家を動かす――その当たり前の原則を見失ったとき、最も傷つくのはこの国そのものである。