2026年熊本地震では、イオンモール熊本の爆発事故や日本製紙八代工場の煙突倒壊で多数の犠牲者が出た。地震そのものは防げないが、設備配置や避難後の再入場、訓練などによって被害を防げた可能性はなかったのか。本記事では、設備面の危機管理に詳しい専門家への取材をもとに、日本企業が見直すべき危機管理とBCPの本質を考える。
熊本地震は企業の危機管理に何を突きつけたのか?
今回の熊本地震が突きつけた最大の問題は、自然災害そのものではなく、災害発生後に人命を守る企業の仕組みが本当に機能したのかという点である。
2026年7月28日の熊本地震では、企業施設でも深刻な人的被害が発生した。イオンモール熊本では地震後に爆発が起き、イオンは8月2日時点で死者7人、負傷者26人と公表している。
日本製紙八代工場では煙突が倒壊し、9人が死亡した。日本製紙の説明によると5本の煙突のうち3本が損傷し、そのうち1本が2階建ての建物を直撃し、死亡した9人のうち6人は当時デスクワーク中だったという。
この二つの事故について、企業側の法的責任が現時点ですべて確定しているわけではない。原因究明は続いており、事故調査や捜査、今後の司法判断を待たなければならない部分も多い。
しかし、だからといって企業の危機管理という視点から検証してはいけないわけではない。むしろ、次の巨大地震が起きる前に全国の企業が自社の問題として考える必要がある。
今回、当編集部では大手上場メーカーで監査・リスク管理に携わり、設備面の危機管理にも詳しい人物に話を聞いた。
専門家が最初に強調したのは、次の区別だった。
- 地震そのものを企業が防ぐことはできない
- 設備が地震でどう壊れるかは事前に検討できる
- 壊れた設備から人を遠ざける仕組みも作れる
- 避難後に人を戻す条件も企業側で決められる
- 非常時に社員が動けるよう訓練することもできる
つまり、自然災害による被害のすべてを「不可抗力」と考えるのではなく、企業側の対策によって被害を減らせる領域を分けて考える必要がある。
イオンモール熊本の爆発はなぜ重大な危機管理問題なのか?
イオンモール熊本の事故で重要なのは、地震後に全員の避難が完了したにもかかわらず、一部従業員の再入館が認められ、その後に爆発が起きたことである。
イオンは地震後、来館者や従業員を屋外へ避難させた。その後、帰宅に必要な車の鍵などを取りに戻りたいという従業員の申し出を受け、一部について個別に一時入館を認めていたことを明らかにした。
そして、その後に大規模な爆発が発生した。経済産業省、消防、警察は8月5日時点で、LPガス爆発である可能性が高いとの認識で一致している一方、ガス漏れや着火の具体的な原因については調査が続いている。
問題は「爆発を予測できたか」だけではない
――爆発そのものを事前に予測することは難しかったのではありませんか。
専門家:
「問題を『爆発を予測できたか』だけに限定すると、本質を見誤ります。巨大地震が発生した直後の建物では、ガス、電気、配管、天井、外壁など、何が損傷しているか分からない状態にあると考えるのが危機管理です」
「その状態であれば、安全確認が終わるまで人を戻さない。これは爆発を具体的に予測していなくても設定できるルールです」
イオン自身も8月2日の第3報で、災害発生時の避難対応を検証し、「再入館の運用や携行品の取り扱い等を含め、地震・防災に関する規定・運用の見直し」を行うとしている。
これは全国の企業にとって重要な教訓になる。一度避難した従業員が、財布、スマートフォン、車の鍵、ノートパソコン、売上金などを取りに戻りたいと言った場合、誰が最終判断をするのかという問題である。
危機管理では、平時には合理的に見える行動が非常時には危険になる。
- 安全確認が完了するまで再入場を禁止する
- 再入場を許可できる責任者を限定する
- 重要な携行品を平時から身につける
- 例外を認める場合の判断基準を明確にする
- テナントや協力会社にも同一ルールを徹底する
こうしたルールは、災害発生後に考えるのでは遅い。平時に決め、訓練によって現場へ浸透させておく必要がある。
日本製紙の煙突倒壊は設備配置の問題を問いかける
日本製紙八代工場の事故は、「設備を壊さない対策」だけでなく、「設備が壊れても人が死亡しない配置」を考える必要性を示している。
日本製紙八代工場では、地震によって損傷した煙突のうち1本が2階建ての建物を直撃した。死亡した9人のうち、従業員6人はその建物でデスクワークをしていたことが会社側の説明で明らかになっている。
倒壊した煙突は1970年建設の鉄筋コンクリート製だった。日本製紙は1997年と2006年に点検し、2016年の熊本地震後には補強工事を行ったと説明している一方、煙突の耐用年数について明確な認識を持っていなかったことも会見で明らかになった。
「倒れない」だけでなく「倒れた先」を考える
――工場の設備危機管理では、どこまで想定すべきなのでしょうか。
専門家:
「大型設備では、耐震補強だけでは十分ではありません。煙突なら、もし折れたり倒れたりした場合、どこまで到達するのか、その範囲に人が常時いる場所がないかまで確認します」
「危機管理では『設備が壊れないようにする』と同時に、『設備が壊れても人を巻き込まない』という二重の考え方が必要です」
これは煙突だけの話ではない。
- タンクやサイロ
- 鉄塔や大型看板
- クレーン
- ボイラー
- 配管やガス設備
- 外壁やガラス
- 受変電設備
- 重量物や大型棚
企業はこれらが地震で破損、転倒、落下したときに、事務所、休憩室、食堂、駐車場、避難経路へ影響しないかを確認する必要がある。
法律上の耐震基準を満たしていることと、人的被害が発生しないことは同じではない。設備面の危機管理では「基準適合」の先にある実際の事故シナリオまで考える必要がある。
なぜ日本企業では設備面の危機管理専門家が少ないのか?
日本ではBCPや防災の専門家は存在するものの、設備配置、構造、避難、人の動き、経営判断まで横断して評価できる専門家はまだ限られているというのが今回の取材者の指摘である。
危機管理という言葉は広い。BCP、労働安全、防災、建築、設備保全、保険、法務、情報セキュリティなど、それぞれの分野には専門家が存在する。
しかし、今回のような問題では、そのどれか一つだけでは十分ではない。
「専門分野の縦割り」が盲点を生む
――日本では設備面の危機管理を専門的に見る人材は多いのでしょうか。
専門家:
「少ないと感じます。設備の技術者は設備を見る。防災担当者は避難計画を見る。BCP担当者は事業継続を見る。法務は責任問題を見る。それぞれは専門的でも、全体を横断して『この設備が倒れた場合、ここにいる社員はどうなるのか』まで見る人が少ないのです」
公的統計として「設備危機管理専門家が全国に何人いる」と示した資料は確認できない。そのため人数を断定することはできないが、今回の取材者が問題視するのは専門知識そのものの不足より、分野横断型の視点の不足である。
中小企業庁もBCPについて、自然災害などの緊急事態に遭遇した際に事業資産の損害を最小限にし、中核事業を継続・早期復旧するための計画として普及を進めている。
一方、今回の熊本地震が示したのは、事業を継続する以前に「そこで働く人をどう守るか」という問題である。BCPと設備安全、人命保護を別々の部署で扱うだけでは、組織の隙間に重大なリスクが残る可能性がある。
企業が外部専門家へ相談する場合も、単にBCPマニュアルを作れるかではなく、次のような視点を持っているかを確認すべきだろう。
- 建物と設備の配置を現場で確認できるか
- 倒壊・落下・爆発時の影響範囲を考えられるか
- 避難経路と設備リスクを一体で評価できるか
- 人の行動まで含めた訓練を設計できるか
- 経営陣へ改善を提言できるか
設備危機管理は、書類を作る仕事ではない。現場を歩き、「この設備が壊れたら誰が危険になるのか」を具体的に考える仕事である。
欧米と日本では危機管理への向き合い方がなぜ違うのか?
欧米、とりわけ米国企業では重大事故による訴訟や高額賠償が経営リスクとして強く意識されるため、安全対策を法令順守だけで終わらせにくい。
――欧米企業と日本企業では、危機管理に違いがありますか。
専門家:
「次元が違うと感じることがあります。特に米国では、重大事故を起こした後の訴訟リスクまで経営者が考えるので、『法律を守っていたから十分』だけでは終わりません」
もちろん「欧米」を一括りにすることはできず、法制度は国ごとに異なる。とりわけ米国では州によって制度も違うが、実損を補償する損害賠償に加え、一定の場合に懲罰的損害賠償が認められる制度が存在する。
日本の最高裁は1997年、米国カリフォルニア州裁判所が命じた懲罰的損害賠償について、制裁・一般予防を目的とする部分は日本の損害賠償制度の基本原則と異なるとして、その部分の日本国内での執行を認めなかった。
日本の不法行為による損害賠償は基本的に、実際に生じた損害の回復を目的とする。一方、米国の一部で採用される懲罰的損害賠償は、悪質な行為に対する制裁や将来の抑止という性格を持つ。
この制度差が企業危機管理への投資姿勢にどの程度影響しているかを一律に数値化することは難しい。しかし、事故後の法的・財務的リスクが大きくなれば、安全対策を経営課題として扱う動機が強まるという専門家の指摘には合理性がある。
日本企業では、ともすると次の状態で安心してしまう。
- 法律に違反していない
- 耐震基準を満たしている
- 点検を行っている
- BCPを策定している
- 防災マニュアルを配布している
しかし危機管理の目的は、監査項目へ丸を付けることではない。「実際に地震が来たとき、人が死なないか」という一点から逆算しなければならない。
マニュアルがあっても人を守れないのはなぜか?
災害対応マニュアルは必要だが、巨大地震の最中に内容を確認して行動することは難しいため、企業には反復した実地訓練が必要である。
――マニュアルを整備している会社でも、危機管理として不十分なのでしょうか。
専門家:
「マニュアルは必要です。ただし、震度7の地震が来た瞬間に誰も分厚いマニュアルを読み始めません。停電し、物が落ち、誰かが負傷している状況では、覚えていること、訓練したことしかできない可能性があります」
この考え方は避難訓練の意味を大きく変える。年に一度、予定された時刻に非常ベルを鳴らし、全員で決められた経路を歩くだけでは、実際の危機への対応力を検証したことにはならない。
訓練では、意図的に想定外を入れる必要がある。
- 防災責任者が不在
- 一つの避難経路が使用不能
- 停電で館内放送が使えない
- 負傷者が発生
- 来客や取引先が館内にいる
- 避難後に社員が再入場を求める
- 管理職と連絡が取れない
こうした状況で誰が判断し、誰が責任を持ち、どこまで現場が独自判断できるのかを試す。訓練とは避難方法を覚えるイベントではなく、企業の危機管理システムの欠陥を発見するためのテストなのである。
企業の危機管理は法的責任とも無関係ではない
地震が自然災害であっても、企業が必要な安全対策を怠っていた場合には、事実関係に応じて民事責任や刑事責任が問題となる可能性がある。
厚生労働省は労働契約法第5条について、使用者は労働者が生命や身体の安全を確保しながら働けるよう必要な配慮をする義務があると説明している。
また、労働安全衛生法違反が認められる場合には刑事責任が問題になることがあり、安全配慮義務は労働契約に伴う企業の義務であり、これを怠った場合には、契約上の義務違反(債務不履行)や不法行為として損害賠償責任を問われる可能性があると厚生労働省は示している。
もちろん今回のイオンモール熊本、日本製紙八代工場について、どのような法的責任が成立するかを現段階で断定することはできない。事故原因、設備管理、予見可能性、回避可能性、現場判断などを個別に検証する必要がある。
しかし、日本が巨大地震を繰り返し経験してきた国である以上、「地震が来ること自体を全く想定していなかった」という説明だけで十分なのかという問題は残る。
企業側が今確認すべきなのは、少なくとも次の点だ。
- 大型設備が倒壊した場合の影響範囲
- ガスや電気設備が損傷した場合の立入基準
- 避難解除を判断できる責任者
- 責任者不在時の代行順位
- テナントや協力会社への指示系統
- 再入場禁止ルール
- 実地訓練の内容と頻度
一つでも即答できない項目があれば、そこには危機管理上の空白がある可能性がある。
まとめ
熊本地震の教訓は、地震を防ぐことではなく、巨大地震が発生しても企業の設備と判断によって人命被害を拡大させない仕組みを平時から作ることである。
イオンモール熊本では地震後に避難した従業員の一部について再入館が認められ、その後の爆発で7人が死亡した。日本製紙八代工場では煙突が建物を直撃し、9人が死亡、そのうち6人はデスクワーク中だった。
この二つの事故について法的責任や詳細な原因は今後さらに検証される。しかし、全国の企業が調査結果を待ってから動く必要はない。
自社の煙突が倒れたら、その先には何があるのか。ガス管が損傷したら、誰が建物への立ち入りを禁止するのか。一度避難した社員が荷物を取りに戻ろうとしたら、誰が止めるのか。
そして責任者自身が被災していたら、誰が代わって決断するのか。
地震大国ニッポンに必要なのは、棚に置かれた危機管理マニュアルではない。設備、施設配置、人の行動、指揮命令系統までを一体として考え、実際に機能する危機管理体制である。
熊本地震を熊本だけの事故として終わらせるのか、それとも次の巨大地震に備える契機とするのか。その選択を迫られているのは、日本中の企業である。
主な参考資料
・厚生労働省「確かめよう労働条件・労働災害」。労働安全衛生法、労働契約法第5条の安全配慮義務、民事・刑事責任について解説。
・最高裁判所、平成9年7月11日判決。米国の懲罰的損害賠償制度と日本の損害賠償制度の基本的な考え方の違いを示した判例。
・中小企業庁「中小企業BCP策定運用指針」。自然災害などの緊急事態における事業継続計画の基本的な考え方を提示。
