観光地・嵐山にも出没 “観光と自然の境界”が崩れるとき

京都・嵐山にまで現れたクマ

紅葉シーズンを迎えた京都・嵐山。渡月橋や竹林の小径は、平日でも観光客であふれる人気スポットだ。
そんな場所に、クマが現れた。

10月25日、竹林の小径近くで子グマの目撃情報。右京区嵯峨野や太秦周辺でも24日から28日にかけて8件の通報が相次いだ。
観光で東京から訪れた女性は「登山で使うクマよけの鈴を持ってきた」と話す。まさか観光地・嵐山で、熊鈴が必要になる時代が来るとは、多くの人が想像もしなかっただろう。

寺院でも貼り紙が増えている。嵐山にほど近い大仙寺では「熊出没注意」の掲示を門前に出した。
元住職は「知らずに来る人も多いから、注意を促したい。ただ、“出た出た”と言いすぎると参拝客が減る」と複雑な心境を語る。
観光の維持と安全確保、その両立が揺れている。

クマはどこから来たのか──「域外」まで広がる出没

京都府によると、2025年度のクマ出没件数(4~10月)は932件。過去最多ではないが、観光地や住宅地周辺での通報が目立つ。
特に注目すべきは、「これまで生息域外」とされてきた地域での目撃が増えていることだ。

府南部の木津川市では、記録上初めてツキノワグマの出没が確認され、10月までに計40件の通報。
市は子どもたちにクマよけの鈴を配布するなど、これまで想定していなかった対策を迫られている。
「もうクマは北部だけの話ではない」。京都府内での危機感が広がっている。

背景にある「人間側の変化」

専門家が指摘するのは、山の環境変化と人間の暮らし方の変化だ。

かつての里山は、人が手を入れ、木を切り、草を刈り、自然と共に生きる場だった。
しかし林業の衰退と過疎化によって、人の気配が消えた山が増えた。
人がいなくなれば、獣が戻るのは当然のこと。
さらに温暖化やドングリの不作、餌の減少が重なり、クマはやむを得ず人里へと降りてきている。

京都の嵐山も例外ではない。観光地の裏山は丹波地域とつながっており、
山から街までの距離は地図上以上に近い。
「クマがいてもおかしくない場所」だったことを、私たちは忘れていたのだ。

観光の拡大が“境界”を壊す

観光客が増え、山間部に人が入る機会が増えたことで、
本来静かなはずのエリアに人工的な匂いや食べ物の残りが残るようになった。
クマは嗅覚が鋭く、人の生活臭や食料の匂いを敏感に感じ取る。
観光が拡大するほど、人と野生動物の行動範囲が重なりやすくなる。

「自然と触れ合う観光」という言葉の裏で、
私たちはいつの間にか“野生を呼び寄せる観光”をしているのかもしれない。

射殺か共生か──問われる倫理と現実

クマが出没すると、行政は対応を迫られる。
安全のための射殺か、あるいは生け捕りや追い払いか。
だが、どちらの選択をしても批判は免れない。
観光地・嵐山のように国際的に知られる場所では、
海外メディアの目もあり、対応の一つ一つが世界に伝わる。

それでも、根本の問題は“個体の処分”ではなく、
人間の側の距離感の喪失にある。
山を放置し、自然を「管理の対象」としか見なくなった社会が、
野生との共生の感覚を失った結果である。

里山文化を取り戻すとき

日本には古くから、山を「神の領域」として敬う文化があった。
狩りをすれば感謝を捧げ、田畑を守るために祈りを捧げた。
それは単なる信仰ではなく、自然と人との境界を守る知恵の体系だった。

今こそ、この“里山文化”を現代の形で再生する必要がある。
山林整備や地域ボランティア、学校教育、観光客への啓発など、
小さな実践の積み重ねが、共生の基礎を作る。

嵐山のクマ出没は、単なる事件ではない。
観光と自然が交差するこの地で、日本社会全体が問われている。
「便利さと引き換えに何を失ったのか」。
その問いに答えを出す時が来ている。

“里山の声”を聞く

京都の山々は、長い時間をかけて人と共にあった。
そこに再びクマが現れたのは、
自然の側からの“サイン”とも言える。

人が山を忘れれば、山は街に歩み寄る。
嵐山に現れたクマは、私たちに静かに語りかけている。
「共生を忘れるな」と。