「推し活」はなぜ若者にとって生活の中心になるのか?
ここ数年、「推し活」という言葉が一般化した。アイドル、アニメキャラクター、配信者、あるいはVtuberなど、形は違えど「推し」に自分の時間やお金を注ぎ込む若者は確実に増えている。従来の「ファン活動」との違いは、推し活が単なる趣味ではなく「生活様式」になっている点にある。
とくにZ世代を中心とする若者たちにとって、推しは現実社会の人間関係に代わる「心の拠り所」であり、経済的行動を左右する存在でもある。なぜ彼らは“リアルより推し”を優先するのか。その背景には、社会構造と感情の経済化という新たな潮流が横たわっている。
リアルな人間関係は「重い」、推しは「心地よい」?
若者が推しを選ぶ理由を探るうえで、まず注目すべきは人間関係のあり方の変化だ。
内閣府の調査によれば、20代の半数以上が「友人関係に気を使いすぎて疲れる」と回答している。SNSの常時接続環境では「既読スルー」「いいねの数」といった些細な指標で関係が揺らぎやすく、リアルな人間関係はむしろストレス源になるケースが増えている。
一方、推しとの関係は片方向的だ。推しは裏切らず、沈黙に気をもむ必要もない。ライブ配信のアーカイブは「いつでも会える」安心感を与える。つまり推し活は、現実の人間関係で得にくくなった「安全なつながり」を提供しているのだ。
なぜ「お金を払う」ことが幸福につながるのか?
推し活は経済的側面とも切り離せない。コンサートやグッズ購入、オンライン課金など、推しに関連する消費は着実に市場を拡大させている。経産省の調査によれば、アイドルやアニメ、ゲームなどのコンテンツ市場規模は2020年代に入り右肩上がりで、特にデジタル課金が全体を押し上げている。
心理学的にみると、これは「消費による自己効力感」の表れだ。現実の人間関係では努力が報われないことも多い。しかし推し活では「投げ銭すれば推しが名前を呼んでくれる」「応援すればランキングが上がる」といった直接的な反応が得られる。自分の存在が可視化される経験は、若者にとって大きな報酬となる。
感情が貨幣化する「感情経済」とは?
経済学者の中には、この現象を「感情経済」と呼ぶ者もいる。モノやサービスではなく、推しへの「感情」が経済行動の出発点になる社会だ。
従来の経済活動は合理性に基づくとされてきた。だが現代の若者にとって、「自分がときめくか」「心が救われるか」といった感情の価値が消費を動かす。
例えば、コンサートの限定グッズは実用性よりも「推しと同じ空気を共有した記録」であることに価値がある。NFTやデジタル写真集といった無形商品でも売れるのは、データにではなく感情に価格がついているからだ。
SNSとアルゴリズムは推し活をどう強化しているのか?
推し活の広がりには、SNSと動画プラットフォームの影響が大きい。YouTubeやTikTok、X(旧Twitter)のアルゴリズムは、ユーザーの関心を徹底的に分析し、関連コンテンツを次々に提示する。結果として「推し」への没入が強化される。
さらに、SNS上で「同じ推しを持つ仲間」とつながれることも重要だ。現実の学校や職場で孤立していても、ネット上には熱量を共有できるコミュニティがある。その共同体意識は、現実以上に強固な人間関係を形成する場合もある。
推し活は「代替宗教」なのか?
推しをめぐる行動には、宗教的な要素も垣間見える。祭壇のようにグッズを並べたり、誕生日を祝うイベントを毎年欠かさず行ったりする姿は、信仰に近い。ある若者にとって推しは「救い」であり、「生きる意味」を与える存在だ。
宗教学者の間では「宗教の世俗化」として推し活を分析する試みも進む。信仰の対象が神から偶像(アイドル)に変わっただけで、根源的には「心を寄せる存在を必要とする人間の本能」が働いているともいえる。
“リアルより推し”の選択は危険なのか?
一方で、推し活に傾倒しすぎるリスクも存在する。経済的負担が重くなれば生活を圧迫し、現実の人間関係を放棄すれば孤立を深める。
しかし重要なのは、若者が「現実逃避」をしているのではなく「生き延びるための選択」をしている点だ。社会が若者に与える未来像が不透明である以上、彼らは自ら心の拠り所を作らざるを得ない。
社会は「推し経済」とどう向き合うべきか?
推し活がもはや一時的なブームではなく、社会を動かす力を持つ以上、無視することはできない。マーケティングの分野ではすでに「推し消費」を前提にした商品設計が増えている。
だが本質的には、若者が推しに依存せざるを得ない社会構造に目を向ける必要がある。雇用不安、格差、孤独の問題が解消されない限り、リアルの人間関係より推しを優先する傾向は続くだろう。
推し活は「新しい経済行動」か「社会の警鐘」か?
推し活は、単なる趣味を超えて「感情経済」という新しい時代の象徴となっている。若者が“リアルより推し”を選ぶ背景には、現実社会の脆弱さがある。
それは危うさと同時に、新たな経済圏を生み出す可能性でもある。推し活は若者のエネルギーを吸い上げる装置であると同時に、彼らの生きる術でもある。社会がその二面性を理解し、支える仕組みを考えられるかどうか。そこに「感情経済時代」を生き抜く鍵がある。