観光が支える地域は本当に幸せなのか?

近年、地方の多くは「観光立国」「インバウンド戦略」という掛け声のもと、観光振興を地域再生の柱に据えてきた。だが、コロナ禍で突如訪れた人の途絶は、観光に依存する経済構造の脆弱さを露わにした。外国人観光客が消えた瞬間、宿泊施設や飲食業、交通事業者の多くが経営難に陥り、地域の雇用も大きく揺らいだ。
いま、私たちは問うべき時に立っている。「観光が地域を救う」という前提は、本当に正しいのか。観光依存からの脱却は、果たして可能なのだろうか。

コロナ禍が突きつけた「観光経済の限界」

観光庁の統計によれば、2020年の訪日外国人は前年比で約87%減少。地域経済の多くが観光収入に依存していたことが、明確に数字として現れた。
例えば京都市では、コロナ前に年間約5000万人の観光客が訪れていたが、その減少によって市税収入も一時的に激減。観光関連労働者の非正規雇用率が高かったため、失業や休業が相次いだ。
この「外需依存型」の構造こそ、観光立国政策の落とし穴である。観光客が増えても、地元に落ちる利益は限定的で、宿泊・飲食・小売などの表層的な業種に偏りがちだ。結果として、地域の基盤産業が育たず、景気変動に脆い経済構造が温存されてきた。

なぜ観光依存は深まったのか?

背景には、地方自治体の財政構造と政治的な「即効性志向」がある。観光は比較的短期間で成果が見えやすく、PRもしやすい。国の補助金や外国人向けキャンペーンに乗れば、短期的な集客効果は得られる。
しかし、観光収入は継続的な経済基盤とはなりにくい。観光客数の増減は世界情勢、為替、気候、災害など外部要因に左右される。しかも観光客が増えても、それが地域内の「生産」や「所得の循環」につながらなければ、地元住民の豊かさは向上しない。
結果として、「観光客が来ないと回らない経済」が出来上がり、自治体も事業者も観光プロモーションに予算を集中させる悪循環が続いてきた。

地元住民の生活が犠牲になる構造

観光客の急増は、住宅や交通、環境にも影響を及ぼしている。京都や鎌倉では、民泊の増加により地元住民の家賃が上昇。軽井沢や沖縄では、リゾート開発が進む一方で、地元の若者が住めなくなる「住民流出問題」も深刻化している。
観光客向けの商店街やカフェが増える一方で、生活必需品を扱う店が減少し、「観光地化」がむしろ住民の不便を生む例も少なくない。
観光振興の名のもとに地域アイデンティティが失われ、伝統文化が「演出物」として消費される――これもまた、観光依存の副作用である。

「観光に頼らない地域経済」への模索

では、どうすれば観光依存から脱却できるのか。
答えは、「観光のその先」にある。つまり、観光を「入り口」として地域の産業や人材を再構築することだ。
たとえば長野県の下條村は、観光ではなく「農業と教育」を柱にした地域づくりで知られる。村営塾を設立して若者の定住を促し、地元農産物のブランド化にも成功。外部依存を最小限に抑え、村民の所得を安定的に維持している。
同様に、徳島県の神山町も「クリエイティブな田舎」を掲げ、IT企業やアーティストの移住を促進。観光客よりも「働く人・暮らす人」を増やす戦略で、持続的な地域経済を築きつつある。

「住民が主役の経済循環」が鍵

観光を完全に否定する必要はない。むしろ観光は、地域の魅力を外部に伝える重要な手段でもある。問題は、その利益を地域にどう循環させるかだ。
たとえば宿泊施設が地元企業によって運営され、飲食店が地元食材を使い、工芸品が地元の職人によって生産されていれば、観光収入は自然と地域内に留まる。
観光を「外貨獲得の手段」ではなく、「地域資源の再評価と共創のプロセス」として位置づけることが重要だ。
観光客を増やすことではなく、地域内の経済循環を太くすること。それが持続可能な地域づくりの本質である。

「共生型観光」への転換が求められる

近年、欧州では「オーバーツーリズム」を反省し、観光客数よりも「質」を重視する動きが強まっている。アイスランドでは観光税を導入し、自然保護とインフラ維持に活用。イタリア・ヴェネツィアでは、日帰り客に課金する「入域料制度」を開始した。
日本でも、観光収入の一部を地域保全や福祉に還元する仕組みを整備することで、観光と生活の両立を図ることができる。観光客にとっても、「地域に貢献できる旅」は満足度を高める要素となる。
観光を単なる経済活動から「共生の文化」へと昇華させる――その転換こそ、これからの観光政策に求められる視点だ。

地方創生の本質は「観光客」ではなく「住民」

政府の「観光立国推進基本計画」では、2030年までに訪日客6000万人を目指すと掲げている。だが、それが地域の豊かさに直結するとは限らない。
人口減少が進むなかで、重要なのは「外から人を呼ぶ」ことよりも、「中で人が暮らし続けられる仕組み」をつくることだ。
医療・教育・交通・通信といった生活インフラの整備、地域資源のデジタル化、再生可能エネルギーの導入など、持続可能なまちづくりの方向に舵を切る必要がある。観光はその一部であり、目的ではない。

観光依存の終わりが、真の地方創生の始まり

観光は地域を輝かせる力を持つが、それは「主役」ではなく「脇役」として機能するときにこそ真価を発揮する。
地元住民が豊かに暮らし、誇りを持てる地域こそが、結果として魅力ある観光地になる。
観光依存からの脱却とは、観光を捨てることではなく、「観光に頼らなくても成り立つ地域」を築くこと。
そのためには、地域が自らの文化・自然・人材を再評価し、住民主体の循環型経済を育むことが不可欠である。
「観光が目的」から「観光が手段」へ――この意識の転換こそ、持続可能な未来への第一歩となる。