観光は「地域の救世主」なのか?
日本各地では、観光を地域再生の切り札として掲げる動きが広がっている。人口減少と高齢化に直面する地方にとって、外部からの需要を呼び込む観光は「地域経済を救う」と期待されてきた。実際、観光庁の統計によれば、2019年には訪日外国人が3188万人に達し、消費額は4兆8,000億円を超えた。飲食業や宿泊業、小売業に直接的な利益をもたらし、観光客が訪れることで雇用も生まれる。
だが、同時に観光は「地域を壊す」存在でもある。住民の生活環境の悪化や、地元資源の過剰消費、外資系資本による利益の流出といった副作用が無視できなくなっている。観光は本当に地域を救うのか、それとも静かに破壊しているのか。この問いは、地方創生の核心に触れる問題である。
経済効果はどの程度「地元」に残るのか?
観光庁のデータでは、観光消費の約3割は宿泊、2割は飲食、さらに土産物や娯楽に分配される。これらが地元企業や個人事業者に還元されれば、確かに地域の経済循環を強める。例えば、長野県の松本市では、地元産食材を活用した飲食店が観光客から高い支持を受け、農業と観光の連携が新しい産業モデルを生んでいる。
しかし現実には、大手チェーンホテルや外資系の旅行代理店を通じた予約が増え、観光収入のかなりの部分が「地域外」に流れている。京都市の調査では、観光収益の約4割が域外資本に吸収されていると推計されており、地元経済への波及効果が限定的であることが浮き彫りとなった。観光が地域を潤すどころか、「外貨獲得の中継地」となっている地域は少なくない。
住民生活は守られているのか?
観光公害(オーバーツーリズム)という言葉が示すように、観光客の急増は住民の暮らしを圧迫する。鎌倉や京都では、狭い路地に大型バスが入り込み、通勤や通学に支障をきたす例が報告されている。家賃上昇や生活インフラの混雑は、観光客ではなく地元住民の負担となる。
また、短期的な利益を求める宿泊業者が増える一方で、地域文化の担い手は疲弊していく。地元神社の祭りや伝統芸能が観光ショーとして消費されることで、本来の意味を失い、住民が「自分たちの文化が奪われていく」と感じるケースもある。
環境への負荷は見過ごせるか?
観光は自然環境への負担も大きい。富士登山ではゴミの放置やトイレ問題が深刻化し、環境保護の観点から入山規制が強化されつつある。沖縄の海では、ダイビングや観光開発によるサンゴ礁の破壊が進み、観光資源そのものが失われる危機が生じている。
経済的利益と環境保全のバランスを取ることは難しい。だが、環境が破壊されれば観光の魅力も同時に消える。観光は短期的に「救う」かもしれないが、長期的には「壊す」リスクを常に伴っている。
観光客は地域社会に溶け込めるのか?
もう一つの課題は「社会的摩擦」である。観光客と住民の接点は必ずしも良好ではない。京都の祇園では舞妓を無断撮影する観光客が後を絶たず、住民と観光客の間で摩擦が生じている。
ただし、交流が適切にデザインされれば、観光は住民の誇りを高める契機にもなる。北海道の小さな漁村では、観光客向けの漁業体験を通じて、住民が自らの仕事を再評価する動きが見られる。観光が「地域文化を再発見する鏡」となる場合もあるのだ。
どうすれば「救う」方向に導けるのか?
観光が地域を救うのか壊すのかは「仕組み次第」である。地元主体の観光戦略が鍵を握る。例えば、石川県の輪島市では、地元の漆器職人が体験工房を運営し、観光客の支払いがそのまま職人の収入につながる仕組みを築いた。これにより外資系ホテルに依存しない収益モデルを実現している。
さらに、地域通貨やデジタル決済を活用して観光消費を「域内循環」させる試みも広がっている。和歌山県白浜町では、独自の電子マネーを導入し、観光客の消費を地元商店街に誘導している。こうした仕掛けがなければ、観光は地域を救うどころか、むしろ「搾取構造」を強めてしまう。
観光政策の未来像は?
政府は観光立国を掲げているが、その成否は「地域が主役になれるか」にかかっている。外資に依存する観光は一時的な経済刺激にとどまるが、地域主体の観光は持続可能な発展を生む。
観光庁の最新調査では、観光収益の地元還元率を高める施策が「今後の最大の課題」と位置づけられている。観光は万能薬ではない。だが、地域が主導権を握り、住民生活や環境を守りながら設計すれば、観光は確かに地域を「救う」力を持ちうる。
観光は「救う」と「壊す」の両義性を持つ
観光は地域経済にとって諸刃の剣である。短期的には雇用と収入を生むが、長期的には環境・文化・生活を蝕む可能性を秘めている。観光が地域を救うのか壊すのかは、外部資本に依存するか、地元主体で循環させるかにかかっている。
地域の未来を守るためには、「観光の量」ではなく「観光の質」が問われている。観光客は地域を壊す存在ではなく、地域と共に歩むパートナーになれるのか──その答えを出すのは地域社会自身である。