全国の観光地が今、静かに変わりつつある。かつて「観光で地域が潤う」と称えられたはずの街が、今では“住めない街”へと変貌しているのだ。
京都、鎌倉、金沢、箱根──いずれも観光公害や住宅不足が深刻化している地域である。観光客が押し寄せ、地価は上昇、民泊が乱立。結果として、地元住民が生活の場を追われている。

観光がもたらす経済効果は一見ポジティブだ。しかし、地域に根づく人々の暮らしを支える仕組みがなければ、短期的な繁栄の裏で“空洞化”が進む。
それは、単なる不動産問題ではなく「地域社会の崩壊」という構造的リスクである。

なぜ観光地で地価が急騰しているのか?

まず、背景にあるのはインバウンドの再拡大だ。2025年の大阪・関西万博を控え、政府が掲げる「年間6000万人観光客誘致」の目標に向け、都市部と観光地でホテル・民泊の開発が加速している。
とくに京都市や金沢市などは、観光客の宿泊需要が住宅市場に食い込み、賃貸物件の供給が圧迫されている。

たとえば京都市の中心部では、住宅の平均賃料が2019年比で約30%上昇。外国人投資家による不動産買収も目立つ。彼らは円安を背景に日本の不動産を「割安資産」として取得し、短期賃貸や民泊運用で利回りを確保している。
地元住民からすれば、自分たちが長年住んできた土地が投機の対象となり、住み続けられなくなっているのが現実だ。

“民泊バブル”が地域を飲み込むメカニズム

Airbnbなどのプラットフォームが普及し、個人でも簡単に宿泊業ができるようになった。観光地の住宅は、住居ではなく「宿泊施設」としての価値を優先的に評価される。
それが地価を押し上げ、周辺の固定資産税や家賃も連動して上昇していく。

この構図は、かつてのリゾート開発バブルと似ている。だが今回は「デジタル民泊」という分散型の形で進行しており、行政が実態を把握しにくい。
京都市の調査によれば、2024年度時点で合法届出済みの民泊は約2,000件だが、実際に稼働している物件はその数倍に上るとされる。
地元の不動産業者は「住居を貸すより民泊にした方が収益性が高い」と語る。結果として、若年層や子育て世代が賃貸住宅を確保できない状況に陥っている。

“地域の顔”が消える──商店街と学校の連鎖的衰退

地価上昇は、住宅だけでなく商業にも影響する。
小規模な飲食店や工芸店が、テナント料の高騰に耐えきれず撤退するケースが増えている。空いたスペースには、観光客向けのチェーン店舗や土産物店が入り、街並みはどこも似通った風景に変わっていく。
地域文化を支えてきた商店街は「観光地の裏方」へと追いやられ、地元の生活圏が失われていくのだ。

さらに深刻なのが教育現場だ。住民流出が進むと子どもの数が減り、小学校の統廃合が進む。金沢市では2020年以降、中心部の3校が閉校となり、「観光地のど真ん中に子どもの声が消えた」と地元紙が報じた。
観光客があふれる通りの裏で、日常生活の基盤が静かに崩壊している。

外資の流入と“地域アイデンティティ”の喪失

2023年以降、外国資本による旅館・ホテルの買収が急増した。京都・祇園ではアジア系ファンドが複数の町家旅館を取得し、リブランドして再販。富裕層向けに改装する一方で、地元住民の生活圏は縮小している。
“文化の継承”という名目で伝統的建築を保全しているように見えても、実際には「観光商品化」されている場合が多い。

この現象を、社会学者は「文化的ジェントリフィケーション」と呼ぶ。
もともと文化的価値の高いエリアに資本が流入し、生活者が排除される構造である。
観光客にとっては整った街並みだが、地域の人々にとっては「自分たちの居場所が奪われた街」なのだ。

地方の“空き家バブル”にも同じ兆候がある

一方で、都市部とは対照的に「地方の観光地」では別の形で同じ現象が起きている。
移住ブームを背景に、古民家や別荘が観光需要で高騰。軽井沢や伊豆、由布院などでは、地元の若者が家を買えないという声が相次いでいる。
観光地での「空き家再生プロジェクト」や「ワーケーション誘致」は、短期的には地域活性化を演出するが、価格上昇をさらに助長するリスクもはらむ。

民泊用や別荘用の需要が地元の住宅市場に食い込むと、家賃や地価は上昇し、生活コストが上がる。結果として、地元住民の流出が進み、空き家が再び増えるという矛盾が生まれる。
“観光による地方創生”が、構造的に“過疎の再生産”を引き起こしているのだ。

行政の対応はなぜ後手に回るのか?

多くの自治体が観光による経済波及効果を重視しすぎて、住宅政策を後回しにしている。
観光地では固定資産税や宿泊税が重要な財源となるため、短期的には地価上昇を歓迎する傾向がある。だが、それが長期的な居住環境を破壊する。

行政が打ち出す「住民と観光客の共生策」は、実態とかけ離れている場合が多い。
たとえば京都市が導入した“オーバーツーリズム対策条例”も、混雑解消やマナー啓発にとどまり、住宅や賃貸市場への介入は限定的だ。
根本的な問題は、“誰のための街づくりなのか”という問いに向き合っていないことにある。

「暮らせる観光地」にするための条件とは?

持続可能な観光地とは、住民が安心して暮らせることが前提である。
そのためには、住宅供給の一定割合を居住専用に確保する「住宅ゾーニング」や、民泊・宿泊施設の営業日数制限など、制度的な歯止めが必要だ。
ヨーロッパでは、観光都市バルセロナが2016年以降、短期賃貸物件の免許制を導入。地元住民向け住宅の確保に成功している。

日本でも、観光政策を「経済政策」から「居住政策」へと転換する発想が求められる。
観光客が訪れる街の魅力は、そこに“人が暮らしていること”そのものにある。
観光客のために整えられた街ではなく、地元の息遣いが感じられる街こそが、本当の意味での「観光資源」なのだ。

地価高騰の裏に潜む“社会の温度低下”

地価上昇は、経済の好循環を示すシグナルである一方で、地域社会の温度を奪う危険な兆候でもある。
「観光で潤う街」が「観光に奪われる街」に変わる瞬間、それは経済の問題ではなく、文化と共同体の問題に変わる。
いま必要なのは、インバウンドの波を歓迎するだけでなく、「どこまでが私たちの生活圏なのか」を社会全体で再定義することである。

“住めない街”が増えるということは、日本の“生きづらい国”化の象徴でもある。
観光立国という看板の裏で、暮らしの足元が静かに崩れていく──その現実に、私たちはもっと敏感であるべきだ。