私たちは毎日、何気なくプラスチックを捨てている。
コンビニの弁当容器、宅配の緩衝材、ペットボトル、レジ袋。
だが、その先を想像することは少ない。
分別すれば、それで「循環」は完成しているのだろうか。
いま問われているのは、政策が現実に追いついているかどうかである。
なぜ廃プラスチックは減らないのか?
消費構造そのものが“使い捨て前提”で動いているため、回収努力だけでは追いつかない。
プラスチックの使用量は、レジ袋有料化後も劇的には減っていない。
代わりに増えたのは、通販の梱包材や小分け包装だ。
特に食品流通は衛生・保存性の観点から過剰包装になりやすい。
高齢化社会では「少量・個包装」が歓迎されるため、結果として廃プラは増える。
政策は「分別」を求めるが、
市場は「便利さ」を求める。
このズレが、構造的な問題である。
リサイクルは本当に循環しているのか?
多くのプラスチックは“再資源化”されても、同じ製品には戻らない。
日本ではプラスチック回収率が高いとされる。
しかしその内訳を見ると、焼却時の熱利用を含む「サーマルリサイクル」が大きな割合を占める。
これは実質的には“燃やしてエネルギー回収”であり、
素材として循環しているわけではない。
いわば「リサイクルしている感」はあるが、
完全な循環型社会とは距離がある。
素材を劣化させずに再利用するケミカルリサイクルは拡大中だが、
コストや設備投資の壁が高い。
自治体の現場は限界に近いのか?
分別の高度化に対し、自治体の財政と人手は追いついていない。
現場では、分別ルールは年々複雑になっている。
「プラ容器」「資源プラ」「可燃ごみ」など区分は細分化された。
しかし住民の理解は必ずしも十分ではない。
誤分別は増え、選別工程の負担は大きい。
自治体は焼却炉の更新や最終処分場の確保にも苦労している。
特に都市部では用地不足が深刻だ。
分別意識の高さだけでは、
処理能力の限界は超えられない。
海洋プラスチック問題は国内政策で解決できるのか?
国内対策だけでは不十分で、国際的な資源循環の枠組みが不可欠である。
海に流れ出るプラスチックの多くは、
適切に管理されていない地域から発生している。
日本国内の回収率は比較的高い。
それでも、マイクロプラスチックは完全には防げない。
近年は国際条約の議論も進んでいるが、
合意形成は容易ではない。
プラスチックはグローバル経済の産物だ。
国内だけで閉じた政策では限界がある。
企業責任は十分に機能しているのか?
拡大生産者責任は制度上存在するが、価格転嫁で消費者に戻る構造が続いている。
製造企業はリサイクル費用を負担している。
しかしそのコストは商品価格に上乗せされる。
つまり、最終的な負担者は消費者だ。
構造は変わっていない。
再生材を使う企業も増えているが、
安価なバージン原料の方が競争力を持つ場合も多い。
市場原理の中で「環境配慮」は
必ずしも優位とはならない。
プラスチック資源循環法は機能しているのか?
制度は整ったが、実効性は自治体と企業の温度差に左右されている。
2022年に施行されたプラスチック資源循環促進法は、
設計段階からの削減を求める画期的な枠組みだ。
しかし、努力義務が多く、
罰則は限定的である。
先進的な自治体や企業は取り組みを進める。
だが全国的な底上げには時間がかかる。
制度はスタート地点に立ったに過ぎない。
なぜ「燃やす」選択が続くのか?
日本は焼却インフラが高度化しており、短期的には合理的選択だからである。
日本の焼却施設は発電機能を備え、
ダイオキシン対策も進んでいる。
埋立地が限られる国土事情もある。
結果として、焼却は現実的な解となる。
だが焼却はCO₂を排出する。
脱炭素社会との整合性は課題だ。
合理性と持続可能性のあいだで、
政策は揺れている。
私たちは何を見落としているのか?
問題は処理方法よりも「生産と消費の設計」にある。
分別やリサイクルは出口対策だ。
しかし本質は入口にある。
どの素材を使い、
どれだけ長く使うのか。
リユース容器や量り売りの仕組みは、
まだ主流とは言えない。
消費文化が変わらなければ、
処理政策だけでは限界がある。
ゴミ処理政策は追いついているのか?
部分的には進んでいるが、構造転換には至っていない。
日本の回収体制は世界的に見ても整っている。
だがそれは“後処理”の精度が高いという意味に近い。
本当に必要なのは、
「作らない・使いすぎない」社会設計だ。
政策はようやくそこに踏み込み始めた。
しかし速度はまだ十分とは言えない。
便利さを維持しながら循環を目指す。
その難題に、私たちは向き合っている。
