高市早苗総理は1月19日夕刻、衆議院を1月23日に解散し、2月8日に投開票を行う総選挙を実施する方針を正式に表明した。解散から投票日まで16日間という戦後最短級の日程に加え、予算審議への影響、受験・国家試験シーズンとの重複など、政治・社会の両面で波紋が広がっている。

なぜ「この時期」なのか──最初に問われるべき疑問

日程の短さや政局的な駆け引き以前に、多くの国民が抱いているのは、より素朴で切実な疑問だ。
なぜ、今なのか。

日本列島は連日、強い寒波と大雪に覆われている。ニュースでは「不要不急の外出は控えてください」という呼びかけが繰り返され、物流や公共交通への影響も報じられている。こうした状況の中で、全国一斉に投票を行うという判断は、果たして生活の現実を十分に踏まえたものだったのだろうか。

大雪の現場で起きていること──投票以前の問題

豪雪地帯では、選挙以前に日常生活そのものが困難になる。
夜明け前からの雪かき、除雪されない生活道路、運休する路線バス。高齢者にとって、外出は「不便」ではなく「危険」だ。

投票所はある。しかし、そこへ行くまでの道が確保されていない。
これは政治への無関心ではない。物理的に行使できない権利の問題である。

都市部に住む人々にとっては想像しにくいが、雪国では「投票に行きたくても行けない」ことが現実に起きる。今回の選挙は、地域によって参加条件が大きく異なる選挙になりかねない。

「投票率」の話ではない──代表性が失われる構図

この問題は、単なる投票率の上下ではない。
誰の声が反映され、誰の声が沈黙するのか、という代表性の問題だ。

雪の影響が少ない都市部、移動手段を確保できる層、組織的に動員される人々。
一方で、雪国の高齢者、交通弱者、山間部の住民。

同じ一票でありながら、行使の難易度がこれほど違う選挙は、公平と言えるのだろうか。

メディアと生活者の温度差──雪は「映像」だが「体感」ではない

連日の大雪報道は、主に東京や大都市のスタジオから発信されている。
雪に埋もれた集落、立ち往生する車列は映像としては共有されるが、雪道を歩く感覚、転倒の恐怖、外出をためらう心理は十分に伝わらない。

これは悪意ではなく、構造の問題だ。
雪を「報じる側」と「雪の中で生きる側」の間には、どうしても距離が生まれる。

受験生にとっての2月上旬──静けさが最も必要な時期

2月上旬は、受験生にとって特別な意味を持つ。
私立大学入試、国公立二次試験対策、各種国家試験。人生の進路を左右する局面だ。

この時期、選挙カーの連呼や街頭演説の拡声器は、政治参加の象徴ではなく騒音として届く。
「集中できない」「勉強場所を失う」という声は、毎回必ず上がる。

受験生は投票権を持たない場合も多い。しかし、その生活は選挙の影響を直接受ける。ここにも、声が制度に反映されにくい層が存在する。

「北欧じゃあるまいし」という違和感

ネット上で繰り返し見られる言葉がある。
「北欧じゃあるまいし」

北欧諸国では、冬の厳しさを前提とした投票制度が整っている。郵便投票や電子投票、除雪されたアクセス環境。
一方、日本の選挙制度は、基本的に「投票所へ歩いて行く」ことを前提としている。

制度もインフラも冬仕様ではない国で、日程だけが冬の最厳寒期に設定された。このズレに、多くの国民が違和感を覚えている。

消費税ゼロは「目玉」だが、今の苦しさの中心ではない

高市総理は記者会見で、食料品の消費税率を2年間ゼロにする減税策について、自民党の選挙公約に盛り込む方針を示した。

一方で、ネット上や地域から聞こえてくる声を見ると、議論の焦点は必ずしも政策の是非そのものに集中しているわけではない。

「そもそも雪で外に出られない」「投票所まで行くのが危険だ」「この時期に選挙どころではない」──こうした声が、静かに、しかし確実に広がっている。

なぜ「国民不在」と言われるのか──生活条件が置き去りにされた選挙

国民不在とは、国民の声を聞かないことではない。
国民の生活条件を、意思決定の前提に置かなかったことだ。

雪、寒さ、受験、地域格差。
それらを承知の上で「今しかない」と判断したのであれば、政治の論理が生活の論理を上回った瞬間と言える。

結論──問われるのは政策ではなく、判断そのもの

今回の総選挙で、本当に検証されるべきなのは、消費税の是非や政権の枠組みだけではない。
なぜこの時期だったのか。
この条件で、国民は本当に意思表示できるのか。

民主主義は、投票用紙の上だけで成立するものではない。
それは、雪に覆われた生活道路や、静けさを求める受験生の机の上にも立脚していなければならない。

極寒の中で行われるこの選挙は、政治の判断がどこまで国民の生活を想像できているのかを、静かに、しかし厳しく問いかけている。