観光地が「誰のためのまち」になっているのか

京都、鎌倉、金沢、倉敷、そして熱海や別府——かつて「暮らしのある風景」として親しまれてきた観光地が、いま、外からの視線だけで形作られる「ショーウィンドウのまち」に変貌しつつある。外国人観光客向けのリゾートホテルが古民家の跡地に立ち並び、地元住民の買い物や通勤の動線が、インバウンド向けの動線と衝突する。

都市計画における住民参加は民主主義の基本原則のひとつだが、観光地ではその声がかき消され、意思決定が行政や開発業者主導で進められているのが実情だ。

この記事では、「住民の声がなぜ届かなくなったのか?」という視点から、観光地における都市計画の課題を掘り下げ、真に住民と観光客が共存できるまちづくりとは何かを考察していく。

住民参加は「形式」だけになっていないか

都市計画法上、自治体はまちづくりに関して「住民参加の機会を確保する」義務がある。だが、実際には説明会や意見募集が形骸化し、住民の意見は単なる「記録」にとどまり、計画への反映は稀である。

たとえば京都市では、大型ホテルの建設計画に対して地元住民が反対署名を提出したものの、市の判断は「すでに法的手続きは整っており、止められない」というものだった。住民の声が「無視された」のではなく、「聞いたが、考慮はしない」という立場が繰り返されている。

住民説明会の時間帯が平日昼間で、働く世代が参加しにくい。パブリックコメントが専門用語で書かれており、一般住民が意見を出すには敷居が高すぎる。こうした制度設計の“手続き主義”こそが、「聞いているようで聞いていない」構造を作り出している。

観光政策と都市計画がすれ違う現実

観光立国を掲げる日本では、訪日外国人の受け入れ拡大が至上命題となっている。その結果、観光政策が都市計画に優先して割り込む場面が増えている。駅前のバスターミナル整備や、商店街の景観改修、公共空間の再編など、本来は住民サービスの一環として行われるべき施策が、「観光客の動線最適化」という視点から設計されがちだ。

たとえば鎌倉駅前では、観光客の回遊性を高めるための改装計画が進行する一方で、地域住民からは「歩行者導線が複雑になった」「地元の生活者が後回しにされている」との声が上がっている。

都市は観光客のためだけにあるのではなく、そこに暮らす人々の生活基盤である。にもかかわらず、まるで観光が「正義」であるかのように、都市計画の中で優先順位が歪められていく現象が起きている。

土地価格の上昇と“地元排除”の論理

観光需要の増加は、不動産市場にも大きな影響を及ぼす。空き家や古民家を利用した民泊や高級旅館の開発が進み、地元住民が住んでいた住宅地に観光施設が進出するケースも増えている。

金沢市や倉敷市では、古民家が続々と外資系の宿泊施設に転用され、地域住民が「家賃高騰」「買い物困難」「人間関係の希薄化」といった生活の変化を強いられている。

このような開発は、行政にとって「空き家活用」「地域活性化」として評価されやすい。一方で、そこに長く暮らしてきた人々が住まいを失い、まちから離れていく現象は「見えにくい副作用」として放置されている。

観光地における“沈黙の強制”という問題

住民が声を上げづらい空気も、無視できない要因だ。観光によって地元経済が潤っているという「善意の空気」が、住民による苦情や反対意見を“わがまま”や“非協力的”と見なしてしまう。

「文句を言えば、地元全体が損をする」
「開発を歓迎する声もあるのに、なぜ反対するのか」

こうした“空気”が、住民同士の分断を生み出す。「地域内対立」が顕在化すると、住民は声を上げること自体をためらうようになる。そして最終的には、外部から来た開発事業者や行政の提案を「受け入れるしかない」というあきらめが広がる。

これは、「合意形成」ではなく「沈黙の強制」であり、民主的な意思決定プロセスとは呼べない。

海外ではどうか?──住民参加型都市計画の例

一方、ヨーロッパの観光都市では、住民参加を都市計画に本格的に組み込む取り組みが進んでいる。

たとえばバルセロナでは、「観光は市民の生活の質を損ねてはならない」という方針のもと、観光客の流入を制限するゾーニングや住民対象の公聴会が頻繁に実施されている。また、アムステルダムでは観光税を活用して住民向けサービスに投資し、「観光の恩恵が地域に還元される」仕組みを構築している。

これらの事例に共通するのは、「観光と住民生活のバランスを明確に定義していること」、そして「行政が住民との対話を継続していること」だ。日本の都市計画がこれらの考え方に学ぶべき点は多い。

本当に住民が望む“まちの姿”とは

住民は決して「観光反対」を叫んでいるのではない。むしろ、観光そのものには一定の理解と期待を寄せている。しかし、その過程で自らの暮らしが後回しにされ、声が届かない状況に対して強い不信感を抱いている。

住民が本当に求めているのは、「まちの将来像について、自分の言葉で関われる場」だ。生活動線や騒音、交通、学校や病院の利用など、観光政策だけでは拾いきれない声がそこにはある。

都市計画における住民参加とは、「一度説明すれば済むもの」ではない。対話を続け、修正を加え、信頼関係を築きながら合意形成を図っていく不断のプロセスである。

観光地こそ「住民の声」でつくる未来を

観光地における都市計画が、経済的合理性や開発利益に傾きすぎると、その土地に暮らす人々の生活基盤が揺らぐ。やがて住民はまちを離れ、観光地は「消費されるだけの場所」として疲弊していく。

この流れを止めるためには、都市計画の中心に「住民の声」を据えることが不可欠だ。観光がもたらす利益と、住民の暮らしの質をいかに両立させるか——その答えは、トップダウンの政策ではなく、ボトムアップの対話の中にある。

観光立国を目指すのであれば、まずは「暮らしやすい国」であること。その原点を見失ってはならない。